第13回 Part.1

時代に適した経済や金融のあり方を探る(1)


慶應義塾大学 経済学部
池尾 和人 研究室
※部署名、役職名、研究内容などは取材当時のものです
更新::2009/10/13
第1回
経済危機の背景にあるものを分析する

2008年9月初旬、世界はまだ、その後わずか1〜2か月で「百年に一度」とさえいわれる経済危機に陥ることに気づいていなかった。私たちの生活を直撃している経済危機はなぜ起きたのか、その背景には何があったのか。そんな疑問の答えを探すとともに、日本の経済や金融が抱える課題について教えていただくため、慶應義塾大学経済学部の池尾和人先生の研究室を訪ねた。

池尾先生の大きな研究テーマは「日本経済と金融」で、もともとの専門である金融を中心に日本経済全体のあり方などまで幅広く研究している。そして、今回の経済危機のようなリアルタイムの問題も重要な研究対象になっているという。

池尾先生によると、アメリカでは経済学者が今回の経済危機について質の高い分析成果を次々に発表しているが、日本ではマスコミなども含めて「強欲資本主義の終焉」などといったセンセーショナルで表面的な議論にとどまる傾向があるそうだ。

今回の経済危機はなぜ発生し、世界を揺るがす事態にまで至ったのか。その背景やメカニズムを明らかにすることは、非常に複雑な「経済」というものをより深く理解する意味でも、将来への教訓化につなげていく意味でも、きわめて重要な課題だ。

そこで池尾先生は、今回の経済危機の本質を客観的に分析することに取り組んだ。では、池尾先生独自の分析によってどのようなことが分かってきたのだろうか。順序立てて教えていただくことにしよう。

経済危機の背景にあるのは
輸出入のアンバランス

今回の経済危機の流れは、一般的には次のように説明されることが多い。

2007年にアメリカで、低所得者層向けの住宅ローンであるサブプライムローン(後述)の返済が遅れたり、できなくなったりという問題が急増し、お金を貸していたローン会社や関連する金融機関の経営が悪化。2008年9月には大手投資銀行(証券会社)のリーマン・ブラザーズが倒産。これをきっかけに株価の暴落など金融危機が世界中に広まり、日本の製造業などの業績も急降下して、世界同時不況に突入した。

しかし、池尾先生は、もっと大きな背景を理解しないと今回の経済危機の本質が見えてこないと指摘する。その背景というのは、世界レベルでの輸出と輸入のアンバランスや、お金の流れの偏りだという。

「各国の輸出額と輸入額の差を経常収支といいますが、日本のように輸出が輸入よりも多い場合、経常収支は黒字になります。世界中を全部合計すると、輸出額と輸入額は同じになるはずなので、輸出のほうが多い国があるということは、どこかに輸入のほうが多い国があることになります。そうした状態を経常収支のアンバランスといいます。

2000年以降、その経常収支のアンバランスが非常に大きくなっていきました。しかも、世界中のほとんどの国が輸出のほうが多くて、ほぼ1つの国だけが輸入のほうが多い。それはアメリカなのです」

そういうアンバランスな状態になると、それを埋め合わせるようなかたちで、お金の動きが発生するのだという。

「輸出のほうが多い国は、輸出で稼いだ分から輸入で支払う分を差し引いても、お金が余る。そのお金はどこかに貸し付けて利益を得ようとします。逆に、輸入のほうが多い国は輸出で稼いだお金だけでは輸入しきれないので、お金を借りようとします。こうして、世界中からアメリカにお金がどんどん流れ込んでいったことが今回の経済危機の基本的な構図です」

金融商品の材料になった
サブプライムローン

大きなお金が動くということは、借りる側の国であっても、金融機関にとってはビジネスチャンスになる。アメリカの金融機関は、お金を貸す側、つまり海外の投資家が喜びそうな(儲けることができそうな)金融商品の開発と販売に力を入れることになった。

「金融商品をつくるためには材料が必要になります。材料というのは、分かりやすくいうと、誰かにお金を貸して利息を付けて返してもらう権利、つまり債権のことです。この債権を 証券化(*1参照)不動産や債権(お金を貸して利子を付けて返してもらう権利)を小口に分けて投資家に販売できる金融商品にする手法。といわれる金融の技術を使って商品に仕立て、それを販売するわけです。

ところが、たんに誰かにお金を貸そうとしても『そうですか』といって借りてくれる人はいない。それで、お金を借りてくれそうな人を探して探して、たどり着いたのがサブプライムローンを借りるような人たちの層だったのです。この人たちは割とお金を借りてくれたのでサブプライムローンが拡大し、その債権を材料にした金融商品を世界中の投資家が買ったのです。

アメリカは、輸入が輸出を上回っている分を海外からの投資というかたちで埋め合わせる。ほかの国は輸出で稼いだお金でアメリカの金融商品を買う。そういうサイクルができて、結構うまく回転していた。それで、景気もよくなっていた。しかし、そんなことがいつまでも続けられるわけはなく、行き詰まってしまった、というのが今回の経済危機の背景です」

住宅価格の上昇がストップし
ローンを返せない人が急増

経済危機の直接の引き金は、皮肉にも世界中から投資を呼び込むうえで大きな役割を果たしたサブプライムローンそのものだった。

ここで、サブプライムローンについて簡単に整理しておこう。アメリカの住宅ローンにはいくつか種類があり、返済能力が高い(所得も高い)層に向けたものをプライムローンと呼び、利息は低めに抑えられている。サブプライムローンは、プライムローンを借りることが難しい人(主に低所得者)向けのローンで、利息は高めになる。ただ、利息は最初の2〜3年は低く設定されているので、利息が高くなる段階で利息の低いローンに借り換えるといったことが一般的に行われていた。

そういう借り換えができたのは、住宅価格の上昇が続いていたからだ。住宅価格が購入時よりも高くなるとローンの担保としての価値も上がり、利息の低いローンに借り換えることが可能になる。もし、ローンの返済ができなくなっても、購入時より高くなっている住宅を売ってローンを清算することができる。しかし、この前提が崩れるときがくる。

「アメリカでは、1990年代の半ば頃から10年間ぐらい住宅価格の上昇が続いていました。ところが、2006年の夏ぐらいに住宅価格の上昇がストップします。それは、住宅価格が高くなりすぎたからです。

アメリカでは、住宅価格の妥当な水準は賃貸住宅の年間賃料の10倍ぐらいといわれていました。それが14倍ぐらいにまでなってしまったのです。そんなに高くなると賃貸住宅に住んだほうが有利になるので、住宅を買う人が減りました。その結果、住宅価格は上昇が止まり、下がり出した。そこから、歯車が全部逆回転し始めたのです」

最初は、サブプライムローンの借り手が打撃を受けた。もともと所得が低い層なので、利息の安いローンに借り換えることができなくなると、たちまち返済が滞る。住宅を売ってローンを清算しようとしても、買い控えで売れない。そうなると次は、直接お金を貸しているローン会社が打撃を受ける。貸しているお金が返ってこないからだ。

それでも当初は、この問題について楽観的な見方も多かったそうだ。

「サブプライムローンの損失は少なからぬ額になりましたが、巨大なアメリカ経済全体から見ると大きな規模ではないので、ある程度の損失は出ても、アメリカ経済の力で負担できるだろうと考えられていたのです」

金融商品の複雑さが不安を拡大する要因に

ところが、思わぬ落とし穴があった。前述したように、サブプライムローンの債権はその多くが証券化された金融商品として世界中の投資家に売られていた。しかも、そうした金融商品は、いくつもの債権を小口に分けて組み合わせたり、できあがった金融商品をベースにして新たな金融商品をつくり出すなど非常に複雑なものになっていた。そのため、サブプライムローンの損失がどこにどれだけ潜んでいるのか分からなくなってしまったのだ。

「昨年、日本で毒入り冷凍ギョーザ事件がありましたね。あの事件と構造的に似ています。本当に毒が入った冷凍ギョーザはごく一部しかなかったはずですが、全部の冷凍ギョーザが売れなくなってしまった。それは買う人が、もしかしたらほかの冷凍ギョーザにも毒が入っているかもしれない、と警戒したからです。

それと同じで、サブプライムローンの損失が潜んでいる金融商品はごく一部だけれど、買った金融商品の中に損失が入っていたらイヤだというので、証券化された金融商品全般が売れなくなってしまった。そうして、金融市場が麻痺していったのです」

ショックの増幅メカニズムで
世界同時不況に突入

サブプライムローン問題は、深刻だったとはいえ、アメリカの住宅ローンの問題だった。それが世界的な経済危機にまでつながったのはなぜなのか。その理由について、池尾先生は次のように分析している。

「経済に限らずシステムには、ショックが加わると通常は元の姿に戻そうとする力が働きます。社会のシステムには、そういう自己復元力みたいなものがあるのです。

ところが、逆に、最初は小さなショックであっても、何かのきっかけでどんどん増幅される悪循環に陥ることもあります。今回の経済危機は、そうした『ショックの増幅メカニズム』が働いて引き起こされたのだと考えられます。その最大のきっかけは、リーマン・ブラザーズの破綻です」

リーマン・ブラザーズは、アメリカ有数の投資銀行(証券会社)だが、どうして破綻にまで追い込まれたのだろうか?

「リーマン・ブラザーズは、アメリカの投資銀行のうちビッグ5 (*2参照)アメリカの金融街には投資銀行(=investment bank/インベストメント・バンク)が多数あるが、最大手の5社を"Big Five"と呼んでいる。かつてのビッグ5はモルガン・スタンレー、ゴールドマン・サックス、メリルリンチ、リーマン・ブラザーズ、ベアスターンズの5社であった。と呼ばれる大手の1社ですが、5社の中では4番手の規模でした。そういう会社は、何とかしてもっと上位になろうとする野心が非常に強いのです。そのため、サブプライムローンにもずいぶん手を出すなどリスクの多い経営をしていて、サブプライムローンや関連する金融商品の損失が膨らんでいったといわれています」

もろさを抱えていた高度な金融システム

池尾先生によると、この破綻には予兆があった。2008年春、ビッグ5のうち5番手のベアスターンズが経営に行き詰まり、アメリカ政府の斡旋でほかの大手金融機関に救済合併されていた。そのため、業界関係者の間では「次はリーマン・ブラザーズだ」という見方が常識になっていて、それが現実のものとなった。ただ、ベアスターンズと違って、リーマン・ブラザーズは救済されなかった。それが「ショックの増幅メカニズム」のスイッチを入れてしまうことにつながった。

「アメリカは金融の最先進国で、非常に高度な金融システムが発展しています。取引関係のネットワークも幅広く、しかも何重にも重なり合うような構造になっていました。非常に精巧で複雑な構築物のようなものです。

リーマン・ブラザーズは、そうした取引関係の『ハブ』の機能を果たしていました。ハブというのは、もともとは自転車の車軸まわりを表す言葉で、そこからたくさんのスポークがタイヤのほうに伸びているようなイメージですね。

そういう会社が急になくなってしまったので、複雑な取引関係そのものがグシャッとつぶれて、金融システム全体が混乱をきわめ、機能停止のような状態に追い込まれていったのです。そうして、最初のサブプライムローンのショックなんかとはケタ違いの規模のショックに拡大してしまい、世界レベルの金融危機を引き起こし、世界同時不況に陥ってしまったのです」

【用語解説】
*1 証券化:不動産や債権(お金を貸して利子を付けて返してもらう権利)を小口に分けて投資家に販売できる金融商品にする手法。

*2 ビッグ5:アメリカの金融街には投資銀行(=investment bank/インベストメント・バンク)が多数あるが、最大手の5社を"Big Five"と呼んでいる。かつてのビッグ5はモルガン・スタンレー、ゴールドマン・サックス、メリルリンチ、リーマン・ブラザーズ、ベアスターンズの5社であった。

《つづく》

●次回は「日本経済の抱える問題と二重構造について」です。

■慶應義塾大学 経済学部

▲池尾 和人 教授

 

 

Lineup

第15回
工学院大学
工学部電気システム工学科

第14回
日本女子大学
家政学部被服学科

第13回
慶應義塾大学 経済学部

第12回
成蹊大学
理工学部情報科学科

第11回
早稲田大学
スポーツ科学学術院

第10回
首都大学東京大学院
都市環境科学研究科

第9回
明治大学
情報コミュニケーション学部

第8回
実践女子大学 生活科学部

第7回
東京工業大学大学院
理工学研究科

第6回
早稲田大学
教育学部地球科学教室

第5回
埼玉大学 教養学部

第4回
東京農工大学大学院
工学教育府応用化学専攻

第3回
青山学院大学
文学部日本文学科

第2回
東京理科大学
薬学部生命創薬科学科

第1回
東京大学大学院
情報理工学系研究科