研究室はオモシロイ

大学、専門学校や企業などの研究室を訪問し、研究テーマや実験の様子をレポート

第23回 Part.1

第23回 町工場と大学が連携し深海探査を実現(1)
Part.1
暗礁に乗り上げる寸前のプロジェクトを
救ったのは「ガラス球」

江戸っ子1号プロジェクト推進委員会 事務局(東京東信用金庫内)
桂川 正巳氏
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
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2013年11月。ガラス球にビデオカメラなどを搭載した深海探査機「江戸っ子1号」が、日本海溝の深海探査に成功した。今回はその「江戸っ子1号プロジェクト」のまとめ役としてプロジェクト全体にかかわった推進委員会事務局(東京東信用金庫内)の桂川正巳さんを訪ね、プロジェクトの経緯や内容について話を伺うことにした。(Part.1/全4回)

地域の中小企業活性化のため
深海探査機のプランを発案

▲桂川 正巳 氏

発端は2009年に遡る。この年1月に人工衛星「まいど1号」が打ち上げられた。これは、東大阪の中小企業経営者たちが人工衛星をつくる計画を立て、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の支援によって実現したものだ。

東京東信用金庫の取引先企業が、その東大阪地域の企業を視察することになり、まいど1号の話も聞いた。それに触発されたのが杉野ゴム化学工業所の杉野社長だ。地域の中小企業を活性化させる取り組みができないかと考え「大阪が宇宙なら東京は深海だ」と思いついたのだという。

芝浦工大・東京海洋大と連携し
JAMSTECも協力

同年5月、杉野社長が同信用金庫支店長との雑談のなかで海底探査機のアイデアを話したところから江戸っ子1号実現へのあゆみが始まる。

同信用金庫には地域力連携拠点(現在の中小企業応援センター)があった。一方で、東京海洋大学、芝浦工業大学と産学連携協定を締結していて、技術相談があった場合には、両大学と連携して対応する体制になっていた。そのため、杉野社長のアイデアも技術相談の1つとして対応することになり、大学としても、学生が中小企業と共同で研究開発に携わることで、芝浦工業大学の「実学の精神」に合うと考え、協力することになった。

そのとき、芝浦工業大学で産学連携コーディネーターを務めていたのが桂川さんだった。桂川さんは、もともとは動力炉・核燃料開発事業団(現在の日本原子力研究開発機構)の技術者で、研究所の副所長などを務めた。

「海底探査機の話をうかがって、海洋研究開発機構(JAMSTEC)に動燃時代の部下が何人もいるので連絡してみました。それで、まずはJAMSTECを訪問してみようということになったのです。最初に訪問したのは8月です。その年の秋には、杉野社長から月面探査機のようなゴムタイヤの付いた、遠隔操作型探査機(ROV)のプランが提案されました。そして、12月にはJAMSTECを本格的に見学することになり、杉野社長や信用金庫の呼びかけもあって20人ぐらい集まりました」

月1回の勉強会を重ねながら
探査機実現の可能性を探る

▲江戸っ子1号開発の様子

しかし、海底探査機のアイデアは、すぐに実現できたり、事業につながるというものではなかった。杉野社長が提案したROVも、JAMSTECの試案では、技術的に高度なものになって予算も数千万円から数億円かかることがわかり、諦めムードが広がる。

ほとんどの企業はこの構想を辞退し、残ったのは杉野社長と同信用金庫で若手経営者の会の会長を務めていた浜野製作所(板金加工)の浜野社長だけだった。

「それでも何かしようということで、月に1回ぐらい、JAMSTECのスタッフに芝浦工大にきていただいて勉強会を開くことにしました。企業からは杉野社長と浜野社長の2人、あとは大学の産学連携コーディネーター、信用金庫のコーディネーター、芝浦工大と東京海洋大の先生で、10人ぐらい集まって『深海とはどういうものか』といったところから勉強していきました」

ガラス球使用の探査機実現めざし
プロジェクトがスタート

2010年5月には桂川さんが芝浦工業大学から同信用金庫に移り、信用金庫のコーディネーターとしてこの構想にかかわることになった。ただ、探査機実現への道筋はなかなか見えてこなかった。それでも粘り強く勉強会を続けていき、同年11月に事態が好転する。海底探査機への熱意に共感したJAMSTECから別のプランが示されたのだ。

それは、ガラス球にカメラなどを入れて、錘(おもり)を付けて海底まで行き、海底を撮影したあと錘を切り離して浮上してくる探査機だった。

「JAMSTECは30数年前、予算も少なかった時代にそういう探査機を開発し、実際に探査を成功させていたのです。ただ、深海船などの研究が進展したので、その探査機の技術は眠ったままになっていたそうです」

深海の水圧に耐えうるガラス球をつくっているメーカーがドイツとアメリカにあることもわかった。直径30㎝ぐらいのガラス球が30万円ぐらいで手に入る。探査機の実現が視野に入ってきた。

同年夏には精密機械加工のパール技研がメンバーに加わり、翌2011年になると電子機器製造のツクモ電子工業が加わった。そして同年4月、企業4社による「江戸っ子1号プロジェクト推進委員会」が発足。芝浦工業大学、東京海洋大学、JAMSTECと連携し、東京東信用金庫がまとめ役になるかたちでプロジェクトが動き出した。

《つづく》

●第2回は『大学と企業のコラボで難題を解決し、特許も取得』についてです。

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