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3rd Place
~もうひとつの場(2)~
高校生くらいまでの学生にとっては、自宅と学校が生活の大半を占めています。朝起きて自宅を出る。学校が終わり、自宅に戻る。そして就寝。そうなると、そこで出会う人間は家族か先生、そして同年齢、または、年齢差がほとんどない「学生」だけとなります。いろいろな個性を持った友人に囲まれていると思っていても、案外、同じような雑誌を読み、同じようなテレビ番組を見て、同じようなものを食べているのではないでしょうか。
毎日、同じ人間と顔を会わせ、同じ授業を受ける。お互いの性格や趣味も何となくわかる。自宅と学校の往復は変化に乏しい世界でもあります。逆に言えば、学校が楽しいと感じることができるひとにとっては、非常に安定した場と言うこともできます。
一方、変化を期待することが難しい環境のなかで、その場にいられなくなってしまったひとはどうでしょうか。いじめを受けている、友人が出来ない、周囲の人間を信用できない。原因はともあれ、現在の場が自分を受け入れない、または、自分は現在の場を受け付けないとなれば、変化を望めない以上、そこから離れるか、耐えるかしかないのです。これでは、1年後、1ヵ月後、1週間後、明日に希望を持つことすらできません。精神的にも非常に不安定な状況になります
自宅と学校だけの生活は、2本脚の机のようなものです。自宅と学校の生活に満足していればとても安定した生活になる一方で、どちらかが折れてしまったらその机は倒れるしかありません。自宅でトラブルが起これば、学校に影響がでる。学校でいじめられたら自宅にも影響がでる。2本脚の机は、それぞれの脚への依存度が高い分だけそこにリスクも内在します。
3rd Placeは、自宅と学校以外の場を持たない“リスクの高い”ひとに安定をもたらします。前出の三船君は大学を卒業するまで、その囲碁教室に通います。中学校、高校と順風満帆とは言えないまでも、苦しいときに自分を支えてくれたのは囲碁教室に通う、年齢も立場も、価値観も異なるひとびととの交流であったと言います。学校でシンドイことがあっても、自宅と囲碁教室という2本の脚が三船君を支えます。自宅で嫌なことがあったら、学校と囲碁教室が彼を支えたでしょう。
この3rd Placeは「社会的所属」と言えます。2本脚の学生に対し、より自立的な、幸せな生活をしてもらいたいとき、自宅にせよ、学校にせよ、限定された世界への適応を促すのか。それとも、保護者や先生が彼ら/彼女らに3rd Place、4th Place、5th Placeを見つける機会を提供するのか。私は、学校に通うことがシンドイ若者には3rd Placeになりえる場所を紹介しています。目の前の若者に希望を与えられる可能性は後者のほうがずっと高いからです。