第2回

『大学って何?』
(後編)


久田 邦明
更新:2006/04/24

しばらく前、ある大学で講義を初めて担当したとき、学生たちの様子に大いに戸惑った。

それまでの大学では、受講生が少人数だったり、行儀の良い振りをしてくれる学生だったりしたので気にならなかったのだが、こちらが油断したせいだろう、落ち着きのない状態が続いた。

初心なわたしには訳が分からない気がしたが、細かなエピソードを重ねるうちに、彼ら〈学生〉という枠組みに収まらないのだということに気づいた。この場合の〈学生〉とはもちろんわたしが想定する学生のことだ。学生たちにはメイワクだろうが仕方がない。まずそういう枠組みを設けないかぎり教師と学生の関係は始まらないからだ。

さて、ある日のこと。自治体の青少年施策の講義のあとで「子どものころ、世話になった大人」を学生に尋ねた。すると、意外なことに実に饒舌な内容のレポートが集まった。わたしは少し驚いた。

そこには、まあいろいろな大人が登場した。学校帰りの小学生にいつも冷たい水を飲ませてくれた近所の大工さん。少年野球で厳しく親切に指導してくれた監督。やんちゃな中学生に良く付き合い大学進学の相談にも乗ってくれた先生。

なるほど、地域にはいろいろな大人がいて、子どもたちの面倒を見ていてくれるのだ。それに加えて、わたしが注目したのは、それらの大人たちが、対価を求めるのではなく、それこそ無私の精神であったことを、学生たちが指摘していたことだ。その人たちは、公共性・公益性の担い手として生きる人間の姿を、子どもたちに伝えてくれたわけだ。それをちゃんと見ていた学生たちは「結構良いやつらだなあ」と、わたしは感心した。

次の課題は、そういうところを糸口にして、どのような講義を組み立てることができるかだ。これまで「教養」と呼ばれてきたことばのカタマリからは、うんと遠いところに、教師と学生が語り始めることばはあるのだろう。

久田 邦明
ひさだ くにあき

首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

Lineup

【2010年 掲載】
第78回 青年団が教えてくれること
〜第65回 大学をユースセンターへ

【2009年 掲載】
第64回 コミュニティビジネスの希望
〜第49回 地域で子どもを育てるスポーツ少年団

【2008年 掲載】
第48回 子どもの貧困
〜第33回 生涯学習を学ぶことの効用

【2007年 掲載】
第32回 期待されていない若者たち
〜第17回 地域文化の力

【2006年 掲載】
第16回 いじめをどうする
〜第1回 大学って何?