第12回

地域の暮らしに埋め込まれた知恵
(後編)


久田 邦明
更新:2006/10/16

子どもが自分たちの担ぐ神輿を作るというのは、なかなか見事な「子どもの参画」プログラムではないか。それを考えてもらいたいと思って、講師役のわたしは「暮らしのなかに埋め込まれた知恵」について、地蔵盆や道祖神の小屋作りの事例などを紹介しながら説明した。

そして数日後のこと。大学の講義でこの話をしたら、長野県出身の学生に、竹林へ出かけて竹を伐るところから始める神輿作りの話を聞いた。翌週には地元の若者として子どもを指導したときの写真を見せてくれた。知らないのは教師の方だったというわけだ。

学生のなかには、どんど焼き、地蔵盆、えびす講などの年中行事を体験した者が結構いる。お洒落な女子大の学生でも地方出身者にはめずらしくないようだ。また、数は少ないが、リーダー役で行事を取り仕切ったという学生もいる。そういう話を聞くと、わたしは、ニュータウンで育った学生に向けて「ハロウィンをやるなら、えびす講があるのに」と、つい余計なことをいいたくなる。両方とも子どもがお菓子を貰い歩く行事だ。

教育改革で「伝統」や「文化」の尊重がいわれるけれども、これを唱える人たちは、いったいどのような伝統、文化を想定しているのだろうか。まさか近代になってから西欧人によって「発見」された体裁の良いものを、ありがたがっているわけではないだろう。もしそうだとすると、伝統主義者の正体は西欧をお手本にする近代主義者ということなるではないか。

それでなくても、伝統や文化ということばは、ご都合主義的な使われ方をする。わたしもその仲間でないという保証はない。困ったことだ。そこで、わたしは自分の立場を「ときどき伝統主義者のふりをする」という具合に理解することにしている。自信満々の伝統主義者よりも中途半端な伝統主義者の方が、かえって誠実でいられるかもしれない。方法としての伝統主義を唱えたい。

久田 邦明
ひさだ くにあき

首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

Lineup

【2010年 掲載】
第78回 青年団が教えてくれること
〜第65回 大学をユースセンターへ

【2009年 掲載】
第64回 コミュニティビジネスの希望
〜第49回 地域で子どもを育てるスポーツ少年団

【2008年 掲載】
第48回 子どもの貧困
〜第33回 生涯学習を学ぶことの効用

【2007年 掲載】
第32回 期待されていない若者たち
〜第17回 地域文化の力

【2006年 掲載】
第16回 いじめをどうする
〜第1回 大学って何?