第28回

ケータイという道具
(後編)


久田 邦明
更新:2007/09/25

ある研究会で高校の先生の報告を聞いた。テーマは「インターネット・ケータイと居場所の変容」。ストリートダンサーでもあるその先生は、サブカルチャーの論文も執筆しており、若者とのつきあいの範囲が広い。

「携帯電話は電話ではなく、ケータイという道具」という指摘が、わたしには、たいへん参考になった。

わたしなどは、つい携帯電話を通話のための手段とみてしまうが、高校生にとっては、そうではなく、通話機能はほんの一部分にすぎない。何ごとも「困った時はケータイ頼み」だという。時刻や日にち、曜日の確認。計算、漢字、電車の時刻。友だちの電話番号。明日の天気。メモ。コピー代わりの写真。友だちへの質問。待ち合わせの連絡。音楽やゲーム、サイトを楽しむ。どれも携帯電話を使う。最近では、財布代わりにもなっている。

そのせいで、記憶しなくてもよいし、ものごとの段取りが悪くてもオーケーだ。ケータイという道具を使えば、その場その場で何とかなる。ダンスは集団的な活動だが、そこでも、携帯電話に依存した、その場しのぎのふるまいが目立つという。

見過ごせないのは、彼らの問題解決能力とケータイとの関係だ。「やりたいことが発生」すると、「とりあえずケータイで解決」するが、「できない場合は諦める」せいで、「自分の能力は身につかない」という仕組みになっている。そのせいで、「考えない、覚えない、思い出さない、工夫しない、想像しない、見ない、聞かない、読まない、書かない…」となるという、その先生の指摘は厳しい。

困ったことではあるけれども、この報告を聞いて、「ケータイがなければ生きていけない」という若者のことが、わたしにも少し分かるような気がしてきた。また、携帯電話を敬遠するわたしもエラソーなことはいえないなあ、と思った。彼らと似て、毎日を、その場しのぎでやりすごしているではないか。

久田 邦明
ひさだ くにあき

首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

Lineup

【2010年 掲載】
第78回 青年団が教えてくれること
〜第65回 大学をユースセンターへ

【2009年 掲載】
第64回 コミュニティビジネスの希望
〜第49回 地域で子どもを育てるスポーツ少年団

【2008年 掲載】
第48回 子どもの貧困
〜第33回 生涯学習を学ぶことの効用

【2007年 掲載】
第32回 期待されていない若者たち
〜第17回 地域文化の力

【2006年 掲載】
第16回 いじめをどうする
〜第1回 大学って何?