第42回

子どものころ、世話になった大人
(後編)


久田 邦明
更新:2008/07/28

学生のレポートには学校の先生や児童館・学童保育のスタッフも登場するが、子どもにとっては、子どもの面倒を見る職業の大人かどうかの区別はないらしい。親切な大人かどうかが、子どもの関心なのだろう。

集合住宅の子どもたちを自宅に招いて遊ばせてくれたという、まるで私設児童館のような活動をした大人も登場した。たまたまそういうところに住んだ子どもは運がよかったなあと思う。そういえば、2004年に始まった文部科学省の地域子ども教室にも自宅を開放して子どもたちの居場所づくりをすすめた事例が幾つもあった。

ただ、海外で暮らしたり、親の転勤が続いたりした学生には、世話になった大人を思い出すのは難しいようだ。また、ずっと私立学校へ通った学生の場合、習い事の先生などを除けば、世話になった大人は少ない。「小・中学生の時期には地元の公立学校へ通った方がよいと、私学の教師のあいだで話している」と、率直なところを語ってくれた先生のことばを思い出す。

ところで、学生のレポートは、いずれも10年ほど前の話であり、すでに地域社会の崩壊がいわれていた時期だが、意外に子どもたちは地域の大人たちに面倒を見てもらっていることが分かる。

子どもが被害者になる犯罪が報道されると、それに反応して、地域の防犯活動がおこわれる。行政が音頭をとる、子どもを犯罪から守るための“安全安心の地域活動”は全国にひろがっており、活動に熱心なところでは、子どもが危ないおもいをした場所に印を付けて、子どもが近寄らないようにする“安全マップ”を作る活動もおこなわれている。

しかし、このような活動は意図に反して地域社会に疑心暗鬼の雰囲気をひろげることになりかねない。安全安心の活動をすすめればすすめるほど、周囲の大人への不信感を増幅させることになるおそれがあるわけだ。

地域社会は惨憺たる状況になっていることに間違いはないのだろうが、それに反応する活動が、地域社会への不信感をひろげることもある。学生のレポートが教えてくれるように、子どもの面倒を見る大人がいるのであれば、むしろ、そのことを発信していくほうがよいのではないだろうか。

久田 邦明
ひさだ くにあき

首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

Lineup

【2010年 掲載】
第78回 青年団が教えてくれること
〜第65回 大学をユースセンターへ

【2009年 掲載】
第64回 コミュニティビジネスの希望
〜第49回 地域で子どもを育てるスポーツ少年団

【2008年 掲載】
第48回 子どもの貧困
〜第33回 生涯学習を学ぶことの効用

【2007年 掲載】
第32回 期待されていない若者たち
〜第17回 地域文化の力

【2006年 掲載】
第16回 いじめをどうする
〜第1回 大学って何?