第27回

2007-09-18UP

ケータイという道具(前編)


久田 邦明

「子どもの貧困」
第47回 前編 / 第48回 後編

「地域の声は、届かない」

第45回 前編 / 第46回 後編

「大学は難しい」

第43回 前編 / 第44回 後編

「子どものころ、世話になった大人」

第41回 前編 / 第42回 後編

「団塊世代の地域デビュー」

第39回 前編 / 第40回 後編

「昭和30年代は良い時代だったのか」

第37回 前編 / 第38回 後編

「若者を地域の担い手に」

第35回 前編 / 第36回 後編

「生涯学習を学ぶことの効用」

第33回 前編 / 第34回 後編

「期待されていない若者たち」

第31回 前編 / 第32回 後編

「ケータイと新老人」

第29回 前編 / 第30回 後編

「ケータイという道具」

第27回 前編 / 第28回 後編

「若者は故郷をめざすか」

第25回 前編 / 第26回 後編

「二つの放課後」

第23回 前編 / 第24回 後編

「人は、ふれあって生きる」

第21回 前編 / 第22回 後編

 携帯電話は、わたしにはよく分からない。たとえばメールである。自分が四六時中メールをやり取りする姿はちょっと想像しにくい。

 そんなことを始めたら自分の世界が大きく変わってしまう気がする。世界は関係によって成り立っている。その関係が変われば世界が変わるだろう。いや、そんな大袈裟なことでもなく、これまで以上に気が散って収拾がつかなくなるのが心配だ。

 携帯メールはスピードが命らしい。メールのやり取りには暗黙のルールがあるという。すぐさま返信するのが常識で、時間を置いてはいけない。翌日送りにするなどは、もってのほかなのだろう。そんなわけで、すぐさま返信しないと、拒絶の意思を伝えることになってしまうようだ。そんなことを続けていて、ものごとを考える余裕があるのだろうか。

 わたしは携帯電話のスイッチを切っている。メールどころか、通話もできない状態にしているわけだ。番号を広く知らせているわけでもないので、電話がかかることはほとんどない。それでもスイッチを切っているのは、携帯電話で待ち構えるのに耐えられそうもないからだ。特別の事情のあるときには便利だけれども、それが日常になるのはご免だ。

 しかし、どうだろうか。こんなことをいっていると、紋切り型の繰言になりかねない。新しい器械が登場すると、いつも年長者は嘆いたものだが、それもいつの間にか忘れられて当たり前のことになる。時代の変化はその繰り返しだ。

 ただ、そうはいっても、時代の変化を確認しておく必要はあるだろう。若者たちのあいだでは、気が散って収拾がつかなくなるのが常態となっているのかもしれない。彼らの世界はすでに大きく変わっているのだろうか。


久田 邦明
ひさだ くにあき

首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。