ドリコムアイ.net…高校生の進路と教育を考えるWebマガジン
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第42回

2008-07-28UP

子どものころ、世話になった大人(後編)


久田 邦明

「もう一つの社会について学ぶ」
第73回 前編

「ホワイトキャンバスの10年」

第71回 前編 / 第72回 後編

「地域社会は再生する」

第69回 前編 / 第70回 後編

「講義について考えた」

第67回 前編 / 第68回 後編

「大学をユースセンターへ」

第65回 前編 / 第66回 後編

「コミュニティビジネスの希望」

第63回 前編 / 第64回 後編

「青少年施策を考える」

第61回 前編 / 第62回 後編

「大学生はコンビニで高齢者と出会う」

第59回 前編 / 第60回 後編

「ピアサポート委員会の活動」

第57回 前編 / 第58回 後編

「子どもがいる暮らしの支援」

第55回 前編 / 第56回 後編

「若者の地元志向」

第53回 前編 / 第54回 後編

「高校生世代という捉え方」

第51回 前編 / 第52回 後編

「地域で子どもを育てるスポーツ少年団」

第49回 前編 / 第50回 後編

「子どもの貧困」

第47回 前編 / 第48回 後編

「地域の声は、届かない」

第45回 前編 / 第46回 後編

「大学は難しい」

第43回 前編 / 第44回 後編

「子どものころ、世話になった大人」

第41回 前編 / 第42回 後編

「団塊世代の地域デビュー」

第39回 前編 / 第40回 後編

「昭和30年代は良い時代だったのか」

第37回 前編 / 第38回 後編

「若者を地域の担い手に」

第35回 前編 / 第36回 後編

 学生のレポートには学校の先生や児童館・学童保育のスタッフも登場するが、子どもにとっては、子どもの面倒を見る職業の大人かどうかの区別はないらしい。親切な大人かどうかが、子どもの関心なのだろう。

 集合住宅の子どもたちを自宅に招いて遊ばせてくれたという、まるで私設児童館のような活動をした大人も登場した。たまたまそういうところに住んだ子どもは運がよかったなあと思う。そういえば、2004年に始まった文部科学省の地域子ども教室にも自宅を開放して子どもたちの居場所づくりをすすめた事例が幾つもあった。

 ただ、海外で暮らしたり、親の転勤が続いたりした学生には、世話になった大人を思い出すのは難しいようだ。また、ずっと私立学校へ通った学生の場合、習い事の先生などを除けば、世話になった大人は少ない。「小・中学生の時期には地元の公立学校へ通った方がよいと、私学の教師のあいだで話している」と、率直なところを語ってくれた先生のことばを思い出す。

 ところで、学生のレポートは、いずれも10年ほど前の話であり、すでに地域社会の崩壊がいわれていた時期だが、意外に子どもたちは地域の大人たちに面倒を見てもらっていることが分かる。

 子どもが被害者になる犯罪が報道されると、それに反応して、地域の防犯活動がおこわれる。行政が音頭をとる、子どもを犯罪から守るための“安全安心の地域活動”は全国にひろがっており、活動に熱心なところでは、子どもが危ないおもいをした場所に印を付けて、子どもが近寄らないようにする“安全マップ”を作る活動もおこなわれている。

 しかし、このような活動は意図に反して地域社会に疑心暗鬼の雰囲気をひろげることになりかねない。安全安心の活動をすすめればすすめるほど、周囲の大人への不信感を増幅させることになるおそれがあるわけだ。

 地域社会は惨憺たる状況になっていることに間違いはないのだろうが、それに反応する活動が、地域社会への不信感をひろげることもある。学生のレポートが教えてくれるように、子どもの面倒を見る大人がいるのであれば、むしろ、そのことを発信していくほうがよいのではないだろうか。



久田 邦明
ひさだ くにあき

首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。