ドリコムアイ.net…高校生の進路と教育を考えるWebマガジン
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第69回

2010-04-05UP

地域社会は再生する(前編)


久田 邦明

「大学生が公民館を建てた」
第85回 前編
「生涯学習と地域のリーダー」

第83回 前編 / 第84回 後編

「情報の受け手の問題」

第81回 前編 / 第82回 後編
「カフェ・バッハのこと」
第79回 前編 / 第80回 後編
「青年団が教えてくれること」

第77回 前編 / 第78回 後編

「就活こそ若者の生涯学習」

第75回 前編 / 第76回 後編
「もう一つの社会について学ぶ」

第73回 前編 / 第74回 後編
「ホワイトキャンバスの10年」

第71回 前編 / 第72回 後編

「地域社会は再生する」

第69回 前編 / 第70回 後編
「講義について考えた」

第67回 前編 / 第68回 後編
「大学をユースセンターへ」

第65回 前編 / 第66回 後編

「コミュニティビジネスの希望」

第63回 前編 / 第64回 後編
「青少年施策を考える」

第61回 前編 / 第62回 後編
「大学生はコンビニで高齢者と出会う」

第59回 前編 / 第60回 後編

「ピアサポート委員会の活動」

第57回 前編 / 第58回 後編
「子どもがいる暮らしの支援」

第55回 前編 / 第56回 後編
「若者の地元志向」

第53回 前編 / 第54回 後編

「高校生世代という捉え方」

第51回 前編 / 第52回 後編
「地域で子どもを育てるスポーツ少年団」

第49回 前編 / 第50回 後編
「子どもの貧困」

第47回 前編 / 第48回 後編

「地域の声は、届かない」

第45回 前編 / 第46回 後編
「大学は難しい」

第43回 前編 / 第44回 後編
「子どものころ、世話になった大人」

第41回 前編 / 第42回 後編

 地域社会はもう存在しない。まずこのように断言した方が問題がはっきりするだろう。それというのも、いまだに生活共同体としての地域社会(地域共同体)が存在するかのような見当違いな発言がめずらしくないからだ。

 「今どきの親は自分の子どものことしか考えない、それに比べて昔の親は自分の子どもも隣近所の子どもも同じように叱った」といわれる。

 昔の親が隣近所の子どもを叱ったのは、地域共同体が存続しなければ家業が潰れてしまうからだ。隣近所の子どもも自分の家の跡取りと同じように、ちゃんとした大人に育ってもらわなければ困る。あたたかい心をもっていたから隣近所の子どものことを気にかけていたわけではない。生活の必要から隣近所の子どもの世話を焼いたのである。

 現在の親は会社から給料を受け取っている。メディアで報道される日本経済の動向に関心をもっても隣近所の子どもに目が届かないのは当たり前だろう。昔の親が賢明で、現在の親が愚かなわけではない。

 家業と地域の生産活動を基盤とする地域社会は高度経済成長期に消滅した。それにもかかわらず、その時期なお地域社会が存続するかにみえたのは、地域共同体の記憶が多くの住民に共有されていたからである。過去の記憶によって地域社会の暮らしが支えられていたという意味で、そこには、たしかにリアリティがあったといえるだろう。

 この点に着目すれば、この時期にひろがった市民運動も地域共同体の記憶があったからこそ可能だった、といえるだろう。市民運動は、理性的人間がモデルの自立した個人を構成単位とする社会の実現を目標に掲げたが、そういう市民が突然誕生するはずもない。地域共同体の記憶が人々を市民運動という場に呼び集めたと考えるべきだろう。

 今になってこんなことに気づくのも、地域社会が存在しなくなったという厳然とした事実が目の前にあるからである。



久田 邦明
ひさだ くにあき

首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。