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風の声

大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー

第76回

第76回
就活こそ若者の生涯学習
(後編)

久田 邦明
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
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何十社も受験して内定がもらえないのが普通のことになっている。学生たちは実に我慢強い。理不尽な扱いをされることもめずらしくないらしい。なかには面接のときに目の前で履歴書を破られることもあるという。いわゆる圧迫面接である。これに対する学生側の対応には面白いエピソードに事欠かない。即座にバッグのなかからもう一通の履歴書を差し出したという話もある。あっぱれな態度ではないか。これだけ気転の利く学生であれば心配ない。たとえその会社を不合格になっても、他に活躍の場所は見つかるだろう。

また、面接で素っ気ない対応をされたり、厳しく反論されたりしても、それでもって不合格になるわけではなく、当人の予想とちがってめでたく内定をもらうこともある。その一方で、筆記試験も面接もそつなくこなして内定を期待したのに不合格になる。そんなことが続くと、学生は訳が分からなくなって消耗するようだ。

こんな話を聞きながら、わたしは就活こそ若者にとって貴重な生涯学習の機会だと伝えている。生涯学習を学校モデルではない教育と捉えれば、就活のなかで学ぶことは生涯学習に含まれるというわけだ。

じっさい、中途半端な学校優等生が、かえって就活に戸惑うらしい。学校教育ではおよそ正答は一つと決まっている。学生はその正答を見つけて答えればよいわけだ。ところが、就職試験の場合は、正答は一つではない。それぞれの会社ごとにその会社の都合に合わせた答がある。下手に参考書の答を真似ると、足元をみられる。学校教育の試験とはちがうのである。

生涯学習と呼ぶ理由はそれだけではない。何年も前の話になるが、ある青少年施設が主催した大学生のための就職支援講座で「等身大の自分を知る」ということばがキーワードであったことを思い出す。“こうありたい自分”ではなく、“ありのままの自分”を受け入れることが就活の成否を決めるというのである。たとえ希望通りの結果が得られなかったとしても「等身大の自分を知る」ことができるようになれば、就活という経験をとおして一人前になったといえるのかもしれない。伝統的な意味の一人前とは、自分の無力さを受け入れることができるようになることだからである。

ただ、ここでわたしは考え込んでしまう。自分は果たして一人前なのだろうか、と。

久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

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