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風の声

大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー

第90回

第90回
大学という夢のゆくえ
(後編)

久田 邦明
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
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卒業までの学費を、数十万円程度に抑えても運営が可能な大学をつくる――。

突飛な話に聞こえるかもしれないが、このようなタイプの簡便な大学には先例がある。アメリカ合衆国のコミュニティカレッジ(公立短期大学)だ。これは、1960年代に急増してマイノリティーの大学進学率を急速に押し上げた。コミュニティカレッジのなかには、大学事務局を雑居ビルに置き、銀行の会議室や組合などの事務所を教室に使用したり、住民施設の成人教育事業を大学の履修単位に組み込んだりするものもある。また、数か月間の入学準備コースを設けて、高校卒業資格のない者を入学させる仕組みのものもある。このようなやり方をとれば低額の学費でもやっていける。

コミュニティカレッジは日本でも40年前から注目されてきたが、もっぱら生涯学習施策の枠のなかで語られてきた。大学進学率が上昇する時期には大学改革のアイデアとしては説得力をもちにくかったからだ。しかし、切羽詰った状況のなか、大学経営のお手本として取り上げられるようになってもおかしくない。定員割れに苦しむ小規模の大学をみれば、コミュニティカレッジをモデルとする、破格の学費の大学がひろがる可能性は高い。

ここで述べた方向に小規模の大学が変化していくとしよう。その影響は当然にも経営危機とは縁遠い有名大学へも及ぶにちがいない。それというのも、これまで大学進学を推し進めきた力は、社会的地位を確保して経済的な利得を得る(あるいは落ちこぼれない)という期待だけではないからだ。カネだけの問題ではないということだ。それは、大学へ行けば、ものの見方や考え方が変わるという庶民の夢、すなわち大学幻想だ。

低額学費の大学の登場によって大学が特別なところではなくなり、普通のところになってしまえば、これが行き場を失う。そうなったときに、庶民の夢をかけるところが新たに登場するのかどうか。

久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

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