第10回

2006-09-04UP

『戦争で死ぬ、ということ』

島本 慈子 著
岩波新書

本体740円+税

第20回 〜 第1回

第20回 『ジェンダーと社会理論』

第19回 『反戦ストリッパー白血病に死す』

第18回 『≪宮崎勤≫を探して』

第17回 『満鉄全史 「国策会社」の全貌』

第16回 『学校だけが人生じゃない』

第15回 『階級社会』

第14回 『何がおかしい』

第13回 『寄る辺なき時代の希望−人は死ぬのになぜ生きるのか』

第12回 『薬でうつは治るのか?』

第11回 『岸田秀最終講義DVD本』

第10回 『戦争で死ぬ、ということ』

第9回 『自傷行為〜私が私であるために〜』

第8回 『自分の居場所のみつけかた』

第7回 『30日間マクドナルド生活』

第6回 『社会運動の力 集合行為の比較社会学』

第5回 『社会学入門 人間と社会の未来』

第4回 『学問の力』

第3回 『そして、憲法九条は。』

第2回 『子どものリアリティ 学校のバーチャリティ』

第1回 書き出すにあたって

 次期内閣は、前国会で通らなかった教育基本法の「改正」を飛び越え、国民投票法案、そして憲法の「改正」までその射程に入れているようだ。憲法9条を守れ!と言う主張のレベルでは、まさに岩波書店らしい本である。

 しかし、かつての岩波文化人やそのまわりの人々が、自分の戦争体験もとにしながら、それを語り継ぐという形で「護憲」を主張していたのに対し、この本の著者は戦後生まれで、第二次世界大戦の体験からではなく、戦争、特に20世紀に入ってからの国家総力戦の悲惨さを描き出すことにより、戦争そのものを否定していこうという論の張り方をしている。ベビーブーマー(彼/彼女らがほんとうに「戦争を知らない子供たち」だったかどうかはここではおくにしても)よりさらに年下の著者による戦争否定論である。

 自分の経験ではないが、人が人を殺すと言うことの悲惨さ、自爆する特攻隊というむごたらしさを資料とルポをもとにリアルに描き出している。書き出しは、手塚治虫の『火の鳥』から始まる。そこから、大阪大空襲へと議論は広まっていくのだ。そこで焼け出された人たちのアクチュアリティ。あるいは、アメリカ合衆国軍の上陸用船艇を棒の先に着けた機雷で爆破しようという滑稽としか言いようのない伏龍特攻隊。戦争を賛美したマスコミ。もちろん原爆による死傷、フィリピンなど占領地でゲリラによって殺された兵士たちのことなどもおかしさもふくめリアリティを持って描き出されている。そして国策として総動員態勢のもといかに人々が働かされたか、それを女性たちがどう支えていたか、小国民といわれた子どもたちがどのような思いで戦争のために自分の命を差し出そうとしたかも克明に記されている。

 また原爆を、アメリカ合衆国でなく、ナチス・ドイツや日本がもし先に開発していたらいったいどういうことになっていたのかまで論考は進められている。最後は9・11事件、アフガン戦争、イラク戦争にまでその論考は進む。そして得られた結論は、戦争がいかにハイテク化されようが、やはり人が人を殺すということは、普通のことではなく、血が流れ、肉がそげ、骨が折れるという生身の痛さをともなうものであるということだ。

 第二次世界大戦が中心となっているが、それ以外の戦争により死んでいった人のことも随所に触れられている。ただ残念なことは、19世紀までの兵員だけの戦争と、20世紀になってからの市民をも巻き込む戦争のむごたらしさの違いの方向には論考が進められていない。生身の人間が死ぬということはどういうことかというアプローチなので、軍人であろうが、一般市民(といっても、総動員されているのだが)その区別の必要はないということだろうか。

 いずれにせよ、戦争で人が死ぬ無惨さを描き出し、そのアクチュアリティから、それでも憲法9条を変えるのかを読者に問うてくる本である。




竹村 洋介
たけむら ようすけ

東京大学文学部社会学科卒業、同大学院教育学研究科博士課程修了。専門は不登校、フリースクール、ひきこもり、NEET論など。NPO法人越谷らるご顧問理事を勤める。このように、現実の社会問題をフィールドワークする一方で、書評子としては、『ドリコムアイ』誌を中心にいくつかの雑誌でほぼ25年近くにわたり連載を重ねる。社会科学全般、社会学、教育学、心理学、経済学、政治学からはては精神医療にまでその広い守備範囲とし、日本児童青年精神医学会の評議員などをも勤めた。近畿大学では、社会学、生涯学習論などの講義をおこなっている。著書に『近代化のねじれと日本社会』(批評社)、『ひきこもり』、『学校の崩壊』(共著、ともに批評社)などがある。