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宮崎勤による連続幼女殺害事件が起きて17年余。2006年には最高裁での死刑判決も確定した。この事件をめぐり、同世代の「オタク」の問題としてとらえ、一躍有名になったのが大塚英志だった。それを違った世代の視点から分析して見せているのが、もうひとりの証人尋問調書を著したこの著者、芹沢俊介である。
著者によれば、≪宮崎勤≫(大塚英志が「M君」とよぶように、著者は犯人の本質をさしてこのように呼ぶ)は、不在の存在である。より正確に言うならば、祖父が死んで以降「〈もうひとりの自分は不在である〉」ということになる。本書では酒鬼薔薇聖斗にもしばしば言及されるが、共通しているのは、この世に肉体として実在していても、既に精神としては不在のものだったということだ。
それは、幼少時において、「イノセンス」をうまく解体できずに、家族の中に、社会の中に自分の居場所を見つけられなかった≪宮崎勤≫の犯行だというのだ。≪宮崎勤≫の「存在の根元は空洞化」していたというのだ。
そして「性と生命の双方の存在を含んだ境界線」上にある幼女を殺害したことを「最後の性犯罪」とよび、この不在の存在である犯人は「人は殺意なくして人を殺せるのか」と問いかけてくるのである。決して判決文にあったような幼児性愛というレベルでことの究明を終えていないところがこの本の核心である。犯罪は、個人宮崎勤のものではなく「システム社会の犯行」とまで言い切る。
そして、これらをして、犯罪史上、今までになかったタイプのまったく新しい犯罪であると著者は力説する。そしてそれに続く犯罪として、2000年の愛知県豊川市の17才の少年による主婦殺害事件、酒鬼薔薇聖斗の犯罪、宅間守、小林薫らによる犯罪が続くというのだ。
証人尋問調書もほぼそのままの形で載り、それだけでも圧巻の本である。しかし、著者が現在において問いかけてくるのはそれだけにとどまらない。母を持たない/持てない人間の存在の不安定性。
著者はエリクソニアンではないので、基本的信頼対不信という言葉は使わないが、それが脅かされている人間のこの社会における生きづらさ。それが他殺へ向かうか、自殺へ向かうかは別として、存在そのものの不安定さ。「リスカ」、「オーバードーズ」する青少年たちのそれと共通するものがあるように思える。親が離婚する、あるいは暴力的だったりなどして、充分に受け止めてもらえなかった人たちなど、この社会にあまた存在するはずだ。私自身、1歳3ヶ月で、結核菌に冒され、そう長く生きない子として育てられたため、原初的母子関係である基本的信頼対不信に傷を負っている。そして、やはり社会を生きづらいと感じている。そこからの脱出口はあるのだろうか。本書にはその答えは記されていない。答えは、それでも「やはり生きてみるしかない」ということになるのだろうか。
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竹村 洋介
たけむら ようすけ
東京大学文学部社会学科卒業、同大学院教育学研究科博士課程修了。専門は不登校、フリースクール、ひきこもり、NEET論など。NPO法人越谷らるご顧問理事を勤める。このように、現実の社会問題をフィールドワークする一方で、書評子としては、『ドリコムアイ』誌を中心にいくつかの雑誌でほぼ25年近くにわたり連載を重ねる。社会科学全般、社会学、教育学、心理学、経済学、政治学からはては精神医療にまでその広い守備範囲とし、日本児童青年精神医学会の評議員などをも勤めた。近畿大学では、社会学、生涯学習論などの講義をおこなっている。著書に『近代化のねじれと日本社会』(批評社)、『ひきこもり』、『学校の崩壊』(共著、ともに批評社)などがある。
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