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ずいぶんとすごい本が出たものだ。社会理論をその第一歩から説明し、現在の最先端にいたるまで、ジェンダーという側面から解説してしまおうという凄まじいまでの意欲作である。たとえば、精神分析では、樫村愛子が、フロイトのその初期の概念に始まり、「ヒステリア」「パラノイア」の概念を説明し、イマジナリーと攻撃性の問題を主題にすえて、現在、女性と精神分析を結ぶ重要なテーマとなっているメランコリーの問題に迫っていく。
こう書くと啓蒙書かと思われるかもしれないが、決してそうではない。例えば一般的に流布されているアイデンティティという概念に対しては、提唱者エリクソンのそれを超えて、坂本佳鶴恵は、「情況的アイデンティティ」という概念を提唱している。最先端の研究書でもあるのだ。主体を「主体」として安全圏に置かない社会理論の冒険が各所に試みられている。
肝心のジェンダーという概念も、かつてのsex=生物学的、gender=文化社会的という通念をぶち破り、ある種の連続性をもったものとして説明され、またジェンダー概念がどのような局面において必要とされ生み出され使われてきたのかまで、丁寧に説明されている。
しかも、それがタイトルにも示されているように、第1部では、社会学理論だけを相手にしたものではなく、上記でも精神分析の例をひいたが、進化論、文化人類学まで幅広く社会理論一般をカヴァーしているのだ。もちろん、寝ころんで楽しむ種類の本ではない。しかし、初学者であろうとも、しっかり読み込めば、その最先端まで理解できるようになっているのだ。このあたり、かつて難解だと言われながらも大きなブームを引き起こした『構造と力』を連想させられてしまう。最先端の知識を現場に生かすために、分かりやすいリチャート式マップを描く、そういう意図が編者達になかっただろうか?
それに引き続く第2部はもっと大変である。現代社会に生起している「セクシュアリティと身体」、「ケア・労働・家族」、「ナショナリズムとグローバリゼーション」という問題をそのディティールから、複眼的に全体像を浮かび上がらそうという試みである。具体的には各テーマに対して、本論2つと特論、コラムなどから各章が構成されている。例えば「セクシュアリティと身体」では、高橋さきのがバイオメディカルなそれを基盤にしながら、進行する性のジェンダー化をおさえながら、性の非一次元/非二次元モデルであるベクトルモデルを提唱する。それに対し、石田仁は歴史社会学をベースにしながら、性の多様化に対し、1950年代のいわゆる「変態雑誌」の記事などを参照にしながら、「生物学的性別・性自認・性的志向」を組み合わせたモデルを提唱し、セクシュアリティのジェンダー化、同性愛や性同一性障害の「主体化」について論じる。途中、矢追の位置づけなどもなされており、極めて現在的問題ときりむすんでいる。これに特論・コラムがつくという大変な構成である。
各著者の力量の偉大さが、この本をビッグ・ブックとしているといえるだろう。よく分かっていない人間に分かりやすい説明は不可能だからだ。さすがに、アイデンティティなどの用語の使い方に、各著者により若干のニュアンスの異なりがあるのは、背景もそれぞれに異なる著者達の出自に起因するものと解したい。
それにしても繰り返すことになるが、初学者から研究者まで(もちろん研究途上の学生にも)、それぞれに読む価値を与えてくれる名作として、歴史に刻み込まれることになるだろう。
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竹村 洋介
たけむら ようすけ
東京大学文学部社会学科卒業、同大学院教育学研究科博士課程修了。専門は不登校、フリースクール、ひきこもり、NEET論など。NPO法人越谷らるご顧問理事を勤める。このように、現実の社会問題をフィールドワークする一方で、書評子としては、『ドリコムアイ』誌を中心にいくつかの雑誌でほぼ25年近くにわたり連載を重ねる。社会科学全般、社会学、教育学、心理学、経済学、政治学からはては精神医療にまでその広い守備範囲とし、日本児童青年精神医学会の評議員などをも勤めた。近畿大学では、社会学、生涯学習論などの講義をおこなっている。著書に『近代化のねじれと日本社会』(批評社)、『ひきこもり』、『学校の崩壊』(共著、ともに批評社)などがある。
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