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サブタイトルにもあるように、「水俣学」事始めである。水俣病は、ご存知のように、海全体が有機水銀によって汚染され、さらにそれが食物連鎖の中で生物濃縮され、視野狭窄、末梢性神経障害、言語障害、運動失調、感覚障害、聴力障害などを引き起こす恐ろしい公害病である。水俣学は、この水俣病を中心に構想される学問である。しかし、水俣学は、水俣病の医学的研究に終始するものではない。
だれが水俣病になるのであろうか。まず真っ先になるのは、胎児、乳幼児、老人、病者といった生理的弱者である。そして、差別された社会的弱者である。これは日本にかぎったことではない。遠くカナダのケノラの町でも先住民族の人たちが有機水銀中毒におかされている。
公害病が貧困と差別を生むのではない、「国内外の公害現場を訪れた結果、差別のあるところに公害が起こることを確信するに至った」と著者は記す。これは、有機水銀中毒にかぎったことではなく、三池炭塵爆発のあとのCO中毒の後遺症にもあてはまることだと著者は言う。そもそも炭塵が浮遊しないようにさえしていれば、起こらなかった爆発だったというのだ。
社会全体は、高度経済成長の幕開けであり、だれもが経済的豊かさを求めて、われ先に駆け出していた時代である。しかし、その影には、豊かさからふるい落とされ、社会の棄民となった公害病患者などがいたのだ。
こうなると、水俣シンドロームは、単なる医学だけの問題ではなくなってくる。水俣シンドロームは社会構造が生み出した負の遺産なのだ。「差別された民に開発のしわ寄せ(公害)がふりかかってきていた」とも著者は記す。
したがって、水俣学は生理的弱者、社会的弱者の「立場に立った学問を模索したい。水俣学は、学際的、かつバリアフリーで、学閥、分野、領域、枠組みを超えた学問を目指す。その中でも重要なことはいわゆる「専門家」と「素人」(非専門家)の壁を取り払い、市民や、労働者、被害者自身も参加する学問であることである」と書く。
実際、著者自身、熊本大学医学部を飛び出し、熊本学園大学水俣学研究センターにおいて、「水俣学講座」を推進している。「水俣学は水俣病の医学的知識を学ぶ『水俣病学』ではない。水俣学は『学問は何のためにあるのか』、『なぜ、人は学ぶのか』といった根源的な問いかけを水俣病を通じて若者たちと共に考える素材を提供するものである」とその展望を開示している。
学問のあり方そのものを根源的に問い直すラディカルなスタンスがよくあらわれている。
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竹村 洋介
たけむら ようすけ
東京大学文学部社会学科卒業、同大学院教育学研究科博士課程修了。専門は不登校、フリースクール、ひきこもり、NEET論など。NPO法人越谷らるご顧問理事を勤める。このように、現実の社会問題をフィールドワークする一方で、書評子としては、『ドリコムアイ』誌を中心にいくつかの雑誌でほぼ25年近くにわたり連載を重ねる。社会科学全般、社会学、教育学、心理学、経済学、政治学からはては精神医療にまでその広い守備範囲とし、日本児童青年精神医学会の評議員などをも勤めた。近畿大学では、社会学、生涯学習論などの講義をおこなっている。著書に『近代化のねじれと日本社会』(批評社)、『ひきこもり』、『学校の崩壊』(共著、ともに批評社)などがある。
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