第28回

2007-06-04UP

『教育大混乱』

プロ教師の会 編著

洋泉社
本体780円+税

第41回 『イラクは食べる』

第40回 『学校裏サイト−進化するネットいじめ』

第39回 『日本の行く道』

第38回 『家族パラドクス』

第37回 『エビと日本人II』

第36回 『プライドワーク―自分を作る働き方』

第35回 『しごとダイアリー』

第34回 『雨宮処凛の「オールニートニッポン」』

第33回 『ベースボールの夢−アメリカ人は何をはじめたのか』

第32回 『サマースプリング』

第31回 『右翼と左翼はどうちがう?』

第30回 『人間自身 考えることに終わりなく』

第29回 『精神科医の本音トークがきける本』

第28回 『教育大混乱』

第27回 『豊かさと棄民たち 水俣学事始め』

第26回 『全国学力テスト、参加しません。』

第25回 『狼少年のパラドクス』

第24回 『生きさせろ! 難民化する若者たち』

第23回 『親より稼ぐネオニート』

第22回 『東京から考える』

第21回 『ヒット曲が世界を変える』

 教育基本法の改定、教育再生会議と、教育改革を看板の一つに掲げている安倍政権だが、現場の教師である(あった)「プロ教師の会」は、これをどのように見ているのだろうか。

 なんと大胆にも「ゴタマゼの『教育再生会議』は安倍政権のアキレス腱となる」とまで言い切るのだ。プロ教師の会は教育再生会議を一枚岩と見ていない。同じく「ゆとり・生きる」教育には反対であっても、学力向上を目指していても、「もとの日本の教育に戻そうとする『近代能力主義派』」と「競争や市場の論理によって教育や学校を活性化していくべきだとする『超(ポスト)・近代能力主義派』」が存在すると見ている。これに、「どちらでもいい派」と、「文科省を中心とする官僚グループ」の四つ巴のなかで、教育再生はのたうちまわっているというのだ。安倍政権は、「超(ポスト)・近代能力主義派」だが、どのグループが主導権を握ろうとも、国民の大半の支持を得ることはできないと言うのがプロ教師の会の見解である。

 そして、学校は、「知識を学ぶ」場であるよりも前に、まず「人間形成」をする場であるというのが、彼らの主張である。ここから先は、『ザ・中学教師[親を粉砕するやり方]編』以来主張し続けてきている子どもが変わった、大人を、学校を権威として尊重しなくなったという論理へつながっていく。そして緊急の教育課題の本質は、「学力低下問題」ではなく、「子ども・若者問題」なのだと結論づけていく。

 具体的論点は多岐にわたる。「ゆとり教育」敗北後の小学校の実態、蔭山メソッドとその限界、イジメの「正体」とその解決法、愛国心と教育、「できる子」と「できない子」はなぜ差がつくのか、「わが子だけが勝ち組になればいいのか?」「教育を経済や政治のことばだけで考えてホントに大丈夫か」といったように、ざっと並べてみても、学テはないにしても、ほぼ、現在の教育問題を網羅していると言ってもよい。これらの諸問題を上記のスタンスから、一刀両断に解きほぐしていく。明快である。

 しかし、「ゆとり・生きる」教育は、何も残さなかったというのだろうか。前々回取り上げた犬山市の教育などは、それを利用しながら積み重ね作り上げられてきたのもではなかったのだろうか。

 ネオ・リベラリズムを教育に直に持ち込むことは私も反対である。教育も課題の本質が「子ども・若者問題」であるということにもあえて異議は唱えようとは思わない。しかし、その「子ども・若者」がこの社会でどのような位置に追い込まれているのか−例えばプレカリアート問題−に答えなければ、真に教育の再生はありえないのではないだろうか。





竹村 洋介
たけむら ようすけ

東京大学文学部社会学科卒業、同大学院教育学研究科博士課程修了。専門は不登校、フリースクール、ひきこもり、NEET論など。NPO法人越谷らるご顧問理事を勤める。このように、現実の社会問題をフィールドワークする一方で、書評子としては、『ドリコムアイ』誌を中心にいくつかの雑誌でほぼ25年近くにわたり連載を重ねる。社会科学全般、社会学、教育学、心理学、経済学、政治学からはては精神医療にまでその広い守備範囲とし、日本児童青年精神医学会の評議員などをも勤めた。近畿大学では、社会学、生涯学習論などの講義をおこなっている。著書に『近代化のねじれと日本社会』(批評社)、『ひきこもり』、『学校の崩壊』(共著、ともに批評社)などがある。