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ものごとを知れば知るほど、知らないことが多いことに気がつく。いくら科学が発達しようとも、世界の隅々まで知ることができるのではなく、むしろ逆に、自分が知っていると思っていたことが、いかに些細なものであったかに気がつく。考えれば考えるほど、わかっていないことがはっきりしてくる。知っていることよりも、考えるという行為そのものの方が重要なのだ。そして、考えるという行為そのものが、著者にとっては哲学的なことなのだ。
しかも、ときおりおりの事件などを題材に、アカデミックな哲学用語を用いてなすのではなく、日常用語で平易にわかりやすいエッセイという形で提示する。読者は楽に読めるかもしれないが、著者は本当に考え抜いていなければ、できない技である。
そういうことを抜きにして読んでみても、興味深いエッセイである。それでいて、週刊誌などに連載されたものが主となっているので、「国家の品格」「お父さんの教育」「麻原彰晃の死刑判決について思うこと」「舌だしペコちゃんの会社」「閣僚の問題発言」など、身近な題材がテーマとなっている。しかも、上品さを感じさせてくれるエッセイとなっているのだ。考え抜かれた力強さにくわえて上品さがあるのだ。これはもう著者の天性のものとしか言いようがないだろう。
享年46。最終節の「墓碑銘」の発行年月日など、入稿日の関係であろう、著者の没した日よりもあとになっている。またその死は、著者の父の死からも数ヶ月しか経っていない。本当に若くして惜しい才能をなくしたと言って過言ではないだろう。あとがきもなく、ほぼ連載順に並べられた編集。帯に「著者急逝!」「この先を考えるのは、あなたです。」とあったり、遺著ということが、あまりにも前面に打ち出されて、売らんかなという臭いがしないでもないが、著者自身の生き方・死に方が本のタイトルになっていると、ここは素直にとりたい。
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竹村 洋介
たけむら ようすけ
東京大学文学部社会学科卒業、同大学院教育学研究科博士課程修了。専門は不登校、フリースクール、ひきこもり、NEET論など。NPO法人越谷らるご顧問理事を勤める。このように、現実の社会問題をフィールドワークする一方で、書評子としては、『ドリコムアイ』誌を中心にいくつかの雑誌でほぼ25年近くにわたり連載を重ねる。社会科学全般、社会学、教育学、心理学、経済学、政治学からはては精神医療にまでその広い守備範囲とし、日本児童青年精神医学会の評議員などをも勤めた。近畿大学では、社会学、生涯学習論などの講義をおこなっている。著書に『近代化のねじれと日本社会』(批評社)、『ひきこもり』、『学校の崩壊』(共著、ともに批評社)などがある。
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