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1989年、平成元年。名古屋の片田舎の不良学校に、平成になって初めて入学してきた中学生、アミは奇妙な体験を重ねていく。ハハはチチと既に離婚し、ソボとの女3人暮らし。そして、そのソボとハハは「精神分裂病」を病んでいる。アミは不登校気味。美術は好きだけれど、体育、とりわけプールが大嫌い。中学校は、退屈で貧弱で無価値で絶望的で、どうしようもなくノーフューチャー。家では始終ソボとハハが些細なことでいさかいをおかす。借金取りがやってくる。電話が滞納で止まる。アミも何も口にしなくなり、ついには生理も止まる。10年後の1999年7月のノストラダムスの大予言による世界の終わりに思いをはせる。「自分だったら発狂しているか自殺してるか犯罪者になっているかだ」と書いた人がいる。
物語は1989年、中学校入学から夏休みまでの日記。ハハ、ソボ、チチ、アタシと言う奇妙な表記に、ワープロを使用したであろうと思われるやたら漢字の多い文章。それだけでも、読者を異世界へと連れ込んでしまう。
が、ふと思ってしまう。1989年ってそんなに閉塞した時代だったのだろうか。昭和は終わってしまったけれど、まだバブルも弾けることもなく、土地だ、株だと酔いしれていた時代の最後の輝きを放っていた時代ではなかったのか?
いや、時代はそうであっても片田舎に住む13歳の少女にとってもう未来は開かれていなかったのだ。それは、大人になってしまったものには、もう感じ取られなくなった存在の不安定で多感で微妙な世界のできごとなのだろう。
エピローグが「『私は、生きたい。』/体の内から〈声〉が言った。」で、終わっているのが読者を安心させる。そして、次ページに小さな文字で「これはきっと/わたしがここにいる/かすかなしょうこ」と記され物語は終わる。
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竹村 洋介
たけむら ようすけ
東京大学文学部社会学科卒業、同大学院教育学研究科博士課程修了。専門は不登校、フリースクール、ひきこもり、NEET論など。NPO法人越谷らるご顧問理事を勤める。このように、現実の社会問題をフィールドワークする一方で、書評子としては、『ドリコムアイ』誌を中心にいくつかの雑誌でほぼ25年近くにわたり連載を重ねる。社会科学全般、社会学、教育学、心理学、経済学、政治学からはては精神医療にまでその広い守備範囲とし、日本児童青年精神医学会の評議員などをも勤めた。近畿大学では、社会学、生涯学習論などの講義をおこなっている。著書に『近代化のねじれと日本社会』(批評社)、『ひきこもり』、『学校の崩壊』(共著、ともに批評社)などがある。
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