#01

生徒の側にもっと踏み込めば
もっと楽しいんだよ、と伝えたい


駒込中学校・高等学校
浅井 紀子 先生
※部署名、役職名などは取材当時のものです
更新:2017/01/23

駒込学園は、300年以上前に設置された天台宗の勧学講院をルーツにもつ男女共学の中高一貫校です。

進路ではもとより、進学希望者が多数を占めていましたが、併設型中高一貫校への移行を機に、早慶上智やGMARCHなどへの進学が指定校推薦も含め増加し、この数年で東京大・京都大に合格する生徒が出始めたところです。

本音で向き合えば応えてくれる素直さは、
今も昔も変わらない

私が赴任したのは1990年代。時代の風潮もあって、当校もどちらかというとやんちゃな生徒がいた時代でした。授業に行き、空席があるので「どうしたの?」と聞くと、3階の廊下をスーッと自転車に乗った生徒が横切るというような。家出した生徒を別の生徒と一緒に探し回ったこともありました。進路指導より生徒指導に割く時間が多かったのは事実ですね。

それに比べ、今の生徒はそういった面の手はかからないものの、器用さと不器用さを併せ持つ面があるように感じます。人付き合いが巧みでぶつかることを避ける傾向がありますが、本音で向き合えば応えてくれる素直さは、やはり変わっていないとも思います。

そうして巣立った生徒たちが当校のチューター制度に参加してくれて、後輩たちのアドバイザーとして戻ってきてくれるのが嬉しいですし、ご子息ご子女をまた駒込学園に入学させたいという卒業生も多いんですよ。人情味が生きる下町に立地して、学校でも職員室に生徒が出入りして自由に教員と気軽におしゃべりできる、そんな人間的な近さが駒込学園らしさだと思っています。

私自身も地元の出身です。中学時代は生徒会長も務めました。教員になると決めたのはその中学時代で、校内暴力が社会問題化したような時代でした。文化祭で後夜祭を企画すると、やらせたくない学校側と、やりたい生徒とで熱い議論になりましたね。生徒を信頼してくれた先生たちにとても共感して、中学校の教員を志望するようになったんです。

学生時代は勉強も全力、遊びも全力というタイプでした。大学の3、4年は教職の勉強と卒論に没頭して、卒論は原稿用紙50枚のところを150枚書き上げるぐらい入れ込みました。指導教授が学長であったこともありがたかったです。

当初高校の教員になる気などなかったので、話があってもお断りし、一旦は出版社に勤めました。ところがそこが初日からハードで、中学校教諭を目指し続けるのか、出版業界に骨を埋めるのか迷っていたところに、駒込学園から非常勤講師にという話をいただいて、入社2週間で辞表を出して転職。翌年には正規採用されて、今に至っています。

教えながら、
こちらも教わる身ということを自覚したい

最近の生徒を見ていて感じる、流すのが上手だったりぶつかり下手で否定しない風潮は、若い先生にもあります。教育は相手を引き上げるためのプロのスキルでもありますから、生徒の側にもっと踏み込むともっと楽しいんだよということをアドバイスしたいですね。

文化祭でも体育祭でも、生徒と一緒に頑張って、頑張りすぎて倒れるまでやったりしましたが、そこまで踏み込むと生徒の受け止めが確実に変わってくるのを実感します。

教員を続けてきて、保護者の方と一緒に取り組むという姿勢も大切だと思いました。最初は、頼りないとか生意気と思われるんじゃないかと気を張って構えていたところに、「だからこそ一緒に頑張りましょうよ」と保護者の方に励まされた経験があります。

最初の十年くらいは、頼ることは弱さだと思っていましたが、今は保護者の皆さんに頼り切っていますし、むしろ生徒にも頼っています。それが心地よいと感じられるように、やっとなったと思います。

日々の仕事はたくさんあるし、いっぱいいっぱいになることもあって、それが伝わると、生徒も手伝ってくれるんですよ。以前は見せなかったことを見せるようになったら、どんどん前に進むようになったんです。

教師と生徒の間では、返事を待たない言いっぱなしのコミュニケーションって多いですが、「私はこう思うけど、どう思う?」と言えば、必ず生徒も答えてくれるんです。

教科の指導スキルは日々勉強が必要です。そして、生徒と一緒に学んで、生徒の目線で伝えるということを大切にしていただけたらなと思います。教えながら、こちらも教わる身ということを自覚したいですね。

■駒込中学校・高等学校(東京都文京区)

駒込中学校・高等学校
浅井 紀子 先生
[プロフィール]
非常勤講師を経て国語科教員に。副教頭・進路指導部長を務める。