研究室はオモシロイ

大学、専門学校や企業などの研究室を訪問し、研究テーマや実験の様子をレポート

第25回 Part.1

第25回 昆虫の機能をものづくりに応用(1)
Part.1
有用な資源として昆虫に注目する
インセクトテクノロジー

東京農業大学 農学部農学科
昆虫機能開発研究室 長島 孝行教授
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
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チョウが春の訪れを告げ、セミの鳴き声が夏を実感させ、スズムシの鳴き声やトンボが秋の気配を運んでくるように、私たちのまわりには数多くの昆虫がいて、ときには季節の移り変わりを教えてくれる。農学分野では、そんな昆虫たちが備えている独特の機能や構造を解明し、ものづくりなどに役立てる研究も行われている。今回は、東京農業大学の長島孝行先生の研究室を訪ね、どのような研究に取り組んでいるのか話を伺ってみた。(Part.1/全4回)

昆虫のもつ機能や構造を解明して
社会に役立てるための研究

▲長島 孝行教授

農学は幅の広い学問だが、そのなかで昆虫の研究はどのような位置づけになるのか、具体的には何をめざしているのか。まず、そこから教えていただくことにした。

「農学部で昆虫の研究というと、作物生産のために害虫を駆除することとか、有害な微生物を発生させないことを思い浮かべるかもしれませんね。もちろん、それは大事なことで、そういう研究も行われていますが、私の研究室では有用な資源としての昆虫に焦点をあてています。昆虫が持つ機能や構造などを農業分野はもちろん広く社会に役立てていくことに取り組んでいるのです。

昆虫およびそれに類するものは、種類数でいうと全動物の80%から90%を占めています。個体数も多く、体重に換算すると全人類の10倍以上になるといわれています。つまり、地球上で非常に繁栄している生物なんですね。そして、それぞれの昆虫は種としての繁栄を続けていく戦略として独特の機能や構造を備えています。しかも、非常に素晴らしい機能や構造が多いのです。

私はそこに着目して、昆虫の機能や構造を解明して社会のために役立てていく『インセクトテクノロジー』を提唱し、研究に取り組んでいます」

長島先生によると、厳密にいうと昆虫は「インセクタ」で、もう少し範囲を広げた小さな動物類のことを「インセクト」と呼ぶのだそうだ。その名称が示すように、先生の研究は昆虫を中心に、それ以外の小動物まで対象にしている。では、インセクトテクノロジーの具体的な例としてはどのようなものがあるのだろうか。

蜂の巣の構造などを工学的に応用し
ものづくりにつなげる

「新幹線のドアやロケットのボディはすごく軽いんですね。でも、強度があります。なぜかというと、蜂の巣の構造、ハニカム構造と呼ばれるものを採用しているからです。蜂の巣は六角形の構造が連続していて、すごく軽くて強度がある。その構造を応用すると素晴らしい素材ができあがるわけです。それはまさにインセクトテクノロジーの1つです。

それから、暑くなると発生する蚊。人間にとっては、病気を媒介するなど有り難くない存在ですが、インセクトテクノロジーの視点で研究すると別の側面が見えてきます。

蚊に刺されたときには痛みを感じません。かゆみを感じる頃には蚊はとっくにいなくなっています。それは、蚊の針に何か特別な構造があるからではないか。

そういう視点で、ナノレベルで調べてみると、細い針の表面がギザギザになっていることがわかりました。細いということも重要なのですが、ギザギザになっているため、人間を刺しても痛点にあたる部分が少ない。だから、刺されても痛みを感じないのです。

その構造を注射針に応用すれば、痛くない注射針ができます。これはもう実際にできていて、マイクロニードルと呼ばれています。これもインセクトテクノロジーなのです」

このほかにも、カタツムリの殻の構造を応用するものなど、数多くの例がある。

「子どもがカタツムリの殻に落書きをすることがありますが、それは放っておいても雨などの水によってきれいに落ちてしまいます。殻の表面が、自然に汚れが落ちるような特殊な構造になっているからです。この構造を家の外壁に応用すれば、雨が降ると汚れが落ちるようになります。これもすでに実用化されています。

この構造を風呂に応用すれば、風呂洗いのときに化学洗剤をたくさん使う必要がなくなります。化学洗剤は石油系のものなので、洗う場所はきれいにするけれども、それを下水に流すことで地球を汚している。そういう環境負荷を減らすことができます。こういう例がほかにもいっぱいあるのです」

このように、昆虫などの機能や構造を工学的に応用して、ものづくりに活かすのがインセクトテクノロジーの1つの分野だという。そして、それとは異なる分野もあるそうだ。

人間がつくれないものは生き物に任せ
有効な活用方法を追求

「インセクトテクノロジーのもう1つの分野として、生き物の機能や構造などで、工学的に再現したり人間の手でつくり出すことができないものは生き物につくってもらって、それを有効に活用することがあります。

いま、科学はものすごく発達して、何でもできるようなイメージがあるかもしれませんが、実際は科学ではできないものがたくさんあります。

たとえば、ハチミツ。これは化学構造的には簡単なものですが、人間がつくろうとしても、つくれません。それから、血液も人間の手でつくることはできません。IPS細胞が話題になっていますが、これも人工的につくるわけではなく、細胞自体がつくってくれるのです。

ですから、人間の手でできないものは生き物につくってもらう。そのためにはどうすればいいか、つくり出されたものを有効に活用するにはどうしたらいいか。それを研究するのがインセクトテクノロジーのもう1つの分野なのです」

タマムシの美しい色は色素ではなく
光を反射する構造で発色

長島先生の研究室では、さまざまなインセクトテクノロジーの研究に取り組んでいるが、生き物の機能や構造を工学的に応用する例の1つに「構造色」の研究がある。

「クジャクの羽は色彩ゆたかで鮮やかです。タマムシも金属光沢の美しい色で、昔から玉虫厨子などに使用されてきました。そして、これらは100年経っても色があせることはありません。なぜかというと、色素ではなく表面の構造によって色を出しているからです。

普通の動物は体のなかに色素が入り込んでいて、それが色を出しています。しかし、クジャクやタマムシは体に色素が入っているわけではないのです。

タマムシの表皮は、非常に特殊な構造になっています。具体的にいうと、ナノサイズの薄い透明な膜の連続でできあがっているのです。その膜に光があたると反射して、いろいろな色を発色します。色の違いは膜の厚さの違いによるものです。身近な例でいうと、シャボン玉があります。シャボン玉はもともとは透明なのに、膨らませていると突然、色が出てきて、その色がどんどん変わっていきます。それは膜の厚さが変わるからなのです。

厳密には、反射した光を見たときに、ある色に見えるということであり、一種の錯覚なんですね。このような、色素ではなく構造による発色を構造色と呼んでいて、何年経っても色があせることはないのです」

構造色を工学的に再現して
カラフルなスプーンを製作

研究室では、タマムシの表皮の構造を工学的に再現して、ものづくりにつなげることに成功している。その1つがステンレスのカラースプーンだ。ステンレスというと、メタリックな銀色に近い色を思い浮かべるが、長島先生に見せていただいたスプーンは、光沢のある青、緑、紫などカラフルなものだ。

「ステンレスの表面を電気で酸化させて溶かし、非常に薄いステンレスの膜を何層も重ねることで発色させています。膜の厚さと層の数によって、いろいろな色にすることができるのです。その加工自体は町工場と提携して行っています。

このスプーンはカラフルだということ以外にも特長があります。まず、錆びにくい。ステンレスはもともと錆びにくいのですが、この加工をするとより錆びにくくなります。それから、化学塗料をまったく使っていないので、そのままリサイクルすることもできます。自動車のボディは鉄の表面にいろいろな化学塗料を塗ってあるため、リサイクルが難しくなっています。しかし、構造色なら、そういう問題も解消できます。

さらに、強度が増します。少ない素材で、必要な強度を得ることもできるわけです。クジャクやタマムシの構造色も、もしかしたら自らをカラフルにするだけでなく、軽くて強度のある体にすることも目的になっているのかもしれませんね」

▼ステンレスのカラースプーン

基礎研究からものづくりまで
一貫した方向性で取り組む

具体的なものづくりは、もちろん簡単に実現できるわけではない。基礎研究や応用研究の積み重ねによって可能になったものだ。

「私自身や研究室の学生がタマムシの表皮を電子顕微鏡で観察して、70ナノ、90ナノ、100ナノというように1つの膜ごとに厚さを測定し、そうした膜が何層あって、どのように重なっているのかを調べています。

そういう緻密な基礎研究を踏まえて、工学的に応用するにはどうしたらいいか実験を繰り返しながら研究し、さらに、具体的なものづくりにまでつなげていくようにしています。これは私の研究室の特色でもあり、『実学』を重視する本学の特色ともいえます」

基礎から応用、ものづくりまで一貫した方向性のもとで研究しているため、研究室の学生(学部3年生、4年生、大学院生)は、それぞれの関心に応じたテーマを見つけて研究に取り組んでいる。

「機能の解明など基礎研究をする学生、ものづくりの領域をテーマにする学生、さらには商品として販売するにはどうしたらいいかを研究する学生などさまざまです。

これまであまり知られていないことを研究する学生もいます。たとえば、花のなかには透明なものもあるのですが、なぜ透明なのか機構の解明を含めて研究しています」

構造色を応用したものづくりの研究は現在も続いていて、すでに製品化されているカラースプーンよりももっと鮮やかな発色を実現することなどに取り組んでいる。

《つづく》
●第2回は『人間の手ではつくれないものを生き物につくってもらい、活用する』です。

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