第6回 vol.3

声優・アナウンス専門課程
(後編)


音響芸術専門学校
(東京都港区)
※学科・コース名称、カリキュラム、役職名などは取材当時のものです
更新:2007/09/03
声優・アナウンス専門課程の開設と同時に、音響芸術専門学校の学校長に就任した大山のぶ代氏にインタビュー。学校長としての教育理念をお伺いしました。

——これまでも講師への就任依頼は少なからずあったのではないでしょうか。

大山  たくさんいただきましたが、すべてお断りしてきました。それは私が受けた、俳優になるための教育があまりに素晴らしく、あれと同じようなことができるとは、とても思えなかったからかもしれません。

私は1954(昭和29)年から3年間、俳優座の養成所で学びました。そこは、まだ戦後の傷跡も癒えない1948(昭和23)年に、俳優で演出家の千田是也さんが中心になってつくられた、寺子屋のような学校が発展したところでした。当時の俳優に、専門教育を受ける機関など、ほとんどありませんでした。俳優を志す者は内弟子に入って師匠の芸を盗む、そんな道しか用意されていない時代のことです。

千田さんはそんな時代にあって『近代俳優術』という著作を発表され、それをベースに、俳優を養成するための学問的な体系を整えられたのです。

私が入所した年の受験者は1,600人を超えていたと聞いています。5日間の試験期間中に、毎日半分ずつふるいにかけられ、最後に残ったのは50人です。

カリキュラムを構成する学科目は36科目を数えました。発声や滑舌のトレーニングはもちろん、バレエのレッスン、音楽、それに人間の身体や声について学ぶ生理学などの科目、あるいはフェンシングもありました。たとえばハムレットなどのお芝居に、フェンシングの技術は欠かせませんからね。

修学は3年間。試験、レポート、出席状況の結果で進級できるかどうかが決まります。落第はありません。進級できなければ即、退所だからです。一緒に入所した50人の仲間のうち、卒業できたのは36人でした。

それは厳しい毎日でした。苦しかったですよ。でも、大人になってわかったんです。あの養成所での3年間が、自分の生涯を支えてくれていることにね。

でも、現代の学校で、私が体験できた3年間を再現できるとはとても思えなかった。だから断り続けてきたのです。

——それがどうして、学校長を引き受ける決断をされたのでしょう?

大山  いまの子どもたちや、それを取り巻く環境を見ていると、心配になったんです。尻上がりだったり、抑揚のないイントネーションで話す癖がついて、そのまま大人になって、きちんとした社会人になれるのだろうかと。

俳優や声優の仕事は、世の中に貢献できる仕事だと思います。マスメディアに出る人たちの影響力は大きいですからね。その言葉遣いが、人に大きな影響を与えることも少なくありません。子どもたちに見せる、たとえばアニメーションなどの影響力はなおさらです。

もともと日本にある大切なものを守るためにも、本当にやる気のある学生に真剣に向かってみようと思うようになりました。幸い、この音響芸術専門学校は、スタッフ教育に35年の実績があります。まじめに教育に取り組んでいて、卒業生のレベルも高いし、在校生のマナーもいい。ならばこの学校で、単に声のテクニシャンの養成ではなく、「人間教育」に携わってみたいと思ったわけです。

もちろん、私たちの後輩を育てたいという意欲も強いですよ。この使い捨ての時代にあって、俳優や声優としてしっかり根を張っていける後輩を育てたいですね。

——それで基礎と基本を重視したカリキュラムを実践されているわけですね。

大山  私が学んだ3年間は、まさに俳優としてばかりでなく、人間として生きていくための基礎と基本を徹底的に仕込まれた3年間でした。

一緒に卒業した36人の中で、俳優として独り立ちできたのは12〜13人でしたが、残りの人たちだって会社に勤めたり自営の道に進んだりして、立派にやっています。みんな尊敬できる人たちばかりです。それはやはり、人間として生きていくための基礎を教えてもらったからだと思うんですよ。

この学校もそういう学校にしたい。期間は2年間と短いけれど、その分、いい講師の先生方に来ていただいて、しっかりしたカリキュラムで学生に体当たりしています。

学生にいつも言っているんですよ。「私は3年かかって勉強した。あなたたちは、それから1年も短い2年しかない。だから厳しいことも言うけれど、しっかり身につけてくれれば、プロになれるかもしれない。もし、俳優や声優やアナウンサーになれなかったとしても、社会で十分にやっていけるように育てるつもりよ」ってね。

仮に入学したときの志と結果が違っても、どの世界にいっても通用する人間になってほしい。そういう学校にするために、私は学校長を引き受けたわけですから。

Reporter's NOTE(声優・アナウンス専門課程)

「声だけの出演をしたときに、ちょっと卑下しながら『今回の仕事は俳優じゃなくて、ん〜声優…?』なんていう風に俳優の間で使う言葉だった」(大山のぶ代学校長)

俳優座の養成所で学ばれた大山学校長がそうであるように、かつて、洋画の吹き替えやアニメーションのアテレコはすべて俳優が担っていました。それが声優として認知され、若者の憧れの仕事のひとつに数えられるまでになったのは、テレビアニメの隆盛があったからこそ。アニメに登場する複数のキャラクターのイメージに見合う声音で、声だけで芝居ができるプロの需要が高まり、俳優ばかりに頼っていられなくなったわけです。

しかし、顔も身振りも見せないまま、ただ声だけでする芝居が、パフォーマンスをともなう演技よりも一層難しいものであることは、容易に想像がつきます。。

入学早々から声優の真似事をするのではなく、ボイストレーニングや演技の勉強を通じて基礎を磨く、音響芸術専門学校の姿勢に共感する高校教師は少なくないことでしょう。

声優の勉強をしたすべての学生が思い通りの職に就けるわけではありません。声優として大成できるのは、むしろひと握りの人であるはずです。まだ成長途上の、高校を卒業したばかり若者の夢をむやみに煽るばかりでは、学校に期待されるもうひとつの機能は成就できません。声優やアナウンサーの専門教育を通じて社会に通用する人を育てようとする同校の姿勢に、ある種の潔さを感じた今回の取材でした。

■音響芸術専門学校

▲大山 のぶ代学校長

 

 

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