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風の声

大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー

第79回

第79回
カフェ・バッハのこと
(前編)

久田 邦明
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
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カフェはもともと地域の人々の交流の場だったという。こういうカフェの意味を教えてくれたのは、カフェ・バッハのご主人の田口文子さんだ。

10年以上ごぶさたしていたバッハへ出かけたのは、4年前の夏だった。久しぶりに話すことになった文子さんに近況を尋ねられたので、コミュニティカフェに関心をもっていると伝えた。すると、文子さんは「カフェはもともとコミュニティカフェだから、コミュニティカフェということばは使わない」と即座に応えた。これは、わたしには忘れられないやり取りだった。カフェのことを勘違いしていたことに気づかされたからだ。

突然の訪問にもかかわらず、話を聞いたあとで、店とは別のところに位置する、こぢんまりとしたビルの研修所や工場へ案内してくれた。素人のわたしにも、そのしっかりした経営ぶりが想像された。歩くうちに向こうから数人の女性グループがやって来た。文子さんの知り合いの近所の人々なのだろう、親しげに挨拶を交わして、「これからバッハへ行くところよ」という、バッハという店の性格を証明するようなことばを聞いた。

わたしが初めてバッハを訪れてからすでに20年ほどのときがたつ。それは、こんなことがきっかけだった。あるまちの社会教育施設の運営委員たちが、週末の午後のひととき、寄り集った人々が美味しいコーヒーを飲むという、ちょっと風変わりで楽しそうな生涯学習講座を企画した。カップルでマイカップを持参して集まるという趣向だ。わたしはそこで生涯学習の意義について語るという、何か少し野暮な感じのする講師役を引き受けていた。その会場で、バッハのスタッフに本格的なコーヒーを淹れてもらって、コーヒーにまつわる話もしてもらおうということになっていた。

バッハを訪れた日は、その打ち合わせのために、バッハのことを紹介した運営委員の案内で、何人かで連れ立って出かけた。1階が喫茶店、2階がコーヒーの焙煎や、お菓子やパンをつくる工場、その上の3階が集会所になっていて、確かその3階で話を聞いたと思う。

久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

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