第83回

生涯学習と地域のリーダー
(前編)


久田 邦明
更新:2011/12/05

今年度の講義を始めるときに考え込んだ。昨年までの講義では、地域社会の再生のための生涯学習の役割について語ってきた。ところが、その地域社会も、地震・津波・原発事故によって一瞬のうちに吹き飛ばされてしまうということが明らかになった。これまでと同じ調子で講義をするわけにはいかないではないか。

じっさい、講義を始めると、不幸にして親族や友人が死んでしまったとか、自宅が倒壊したとかいう話や、放射線量の高い地域に住む家族が思い悩んでいるという話を、学生から聞くことになった。

地域社会が一瞬にして吹き飛ばされるという事実を前にすると、ことばを失う。縁あって知ることになった福島県飯舘村の場合、30年前は冷害のせいで東北一の貧乏村といわれていたと聞いた。その後、力を合わせて地域づくりに励み、暮らしやすい村にしてきた。その10年間の歩みは『までいの力』(シーズ出版)という本にまとめられたが、出版直前に大震災にあい、3月11日以前の村の姿を紹介するという但し書きを付して出版することになった。

この本に記録されているように、この村の地域づくりは、まさしく生涯学習の活動と呼べるものだ。日本にただ一つの村営書店は、その象徴的存在の一つといえるかもしれない。しかし、その成果も理不尽な外部の力によって一瞬にして吹き飛ばされてしまった。これは、この村だけのことではない。このような現実を視野に入れなければ、生涯学習の講義に説得力がないではないか。

講義では、わたしの問題関心を率直に語ることから始めた。そして、被災した地域社会の現状について、断片的な情報をとおしてではあるが、紹介した。ただ、その一方で、講義内容の基本的な枠組みは、前年度中に用意したシラバス(学習計画)のとおりにした。

そのせいだろうか、ある学生は、もっと震災を話をしても良いのに、といった。自分の専門外の不確かなことを話すわけにもいかない、と答えた。この答えに間違いはなかったと思う。しかし、そのとき、地震・津波・原発事故について、不確かなことを語るのを控えるという立場をとりながら現状を追認する専門家たちの姿を思い浮かべた。確かなことだけを語るという立場は、責任逃れの言い訳にしかならないこともある。

久田 邦明
ひさだ くにあき

首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

Lineup

【2010年 掲載】
第78回 青年団が教えてくれること
〜第65回 大学をユースセンターへ

【2009年 掲載】
第64回 コミュニティビジネスの希望
〜第49回 地域で子どもを育てるスポーツ少年団

【2008年 掲載】
第48回 子どもの貧困
〜第33回 生涯学習を学ぶことの効用

【2007年 掲載】
第32回 期待されていない若者たち
〜第17回 地域文化の力

【2006年 掲載】
第16回 いじめをどうする
〜第1回 大学って何?