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風の声

大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー

第87回

第87回
コミュニティカフェの力
(前編)

久田 邦明
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
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学生に講義で、住民施設のアイデアをまとめるという課題を出すことがある。

そのレポートに、人びとが寄り集う、手づくりの小さな施設のアイデアが目立つようになった。生涯学習センターや男女共同参画センター、老人大学のような、オーソドックスな住民施設よりも、こちらの方が多い(書き易いという学生の都合もあるだろうが)。

商店街の空き店舗や公民館などの行政施設を利用するアイデアと共に、自宅の一部や離れ屋を、家族の協力で資金を確保して改装するというものもある。また、大学のキャンパスに学生が交流するカフェをつくるというアイデアもある。これはすでに複数の大学で実現しているとも聞く。

手づくりの小さな施設への関心は大学生だけではない。すでに各地に数多く誕生しており、“コミュニティカフェ”とか“地域の居場所”とか“まちの縁側”とかいう名称で呼ばれている。この夏わたしは、あるまちの役所で開催された「コミュニティカフェを始めませんか」という趣旨の事業の冒頭で講演をさせてもらった。そこには主催者の予想を超えた大勢の人びとが集まった。高校生から高齢者まで世代の幅もひろく、コミュニティカフェということばに力のあることを再確認したものだ。

しばらく前に、コミュニティカフェの全国交流会で講演をしたときにも、福祉団体の関係者、自治会・町内会の役員、建築学の大学院生など多彩な人びとが集まった。また、大学・役所・地元自治会が協力して運営する、あるコミュニティカフェで話したときには、活動に参加する人たちの話を聞いて多くのことを学ばせてもらった。

コミュニティカフェは、手づくりの小さな住民施設の呼称として比較的受け入れられ易いことばなのだろう、ひろく使われている。最近では研究者の調査がおこなわれるようにもなっている。これからもひろがっていくにちがいない。

このような動きには二つの背景が考えられる。ひとつは、子どもから高齢者まで幅広い世代の人びとが、身近なところに気楽に交流する場がない、と感じていることだ。今、地域社会の状況はとても厳しい。もうひとつ、社会教育研究者のわたしの立場からみると、高度経済成長期以降に建設された住民施設がこのような状況に対応できなくなっていることだ。

久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

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