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風の声

大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー

第89回

第89回
大学という夢のゆくえ
(前編)

久田 邦明
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
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大学の数は多過ぎるのか。この問題の答えは簡単ではない。大学を高等教育機関とみれば、進学率が50%に達する現在の大学の数は多過ぎる。しかし国民の半数が進学する国民教育機関とみれば、多過ぎるとはいえない。このように大学の捉え方によって答えは異なる。

かつて高等学校が同じ問題と向き合ったことを思い出す。1960年代、高校進学希望者が急増するなか、高校(とりわけ普通科)の入学定員を抑制する行政施策は挫折し、結果として高校増設がすすんだ。義務教育ではない後期中等教育を、国民教育機関にする力がはたらいたわけだ。

大学についても、このような力がはたらいているような気がする。そうであれば、進学希望者の増加を抑制しようとしても無理だ。高等教育機関(最高学府!?)という正論も空しく響く。本人は就職や専門学校入学を望んだのに、親や教師の勧めで大学へ入る学生もめずらしくない。親や教師は、子どもや生徒が社会のなかで落ちこぼれないための安全策として大学進学を考えているわけだ。事ここに至っては、進学希望者の増加に打つ手はないだろう。

ただ、大学の場合は高校とちがって学費の問題がある。保護者の収入は減少し、雇用不安がひろがっている。子どもの学費を負担できる保護者の数は確実に減少している。奨学金という手もあるが、貸与型の奨学金では卒業後の返済に苦しむのは目に見えている。奨学金をめぐる問題はすでにあからさまになっている。

いや、しかし、経済不況が続くなかでも進学率を上げる方法がないわけではない。経営者の立場を想定すれば、どうか。学費のうんと安い大学をつくればよい。無駄を省いて低額の学費で運営する仕組みを整えるのだ。放送大学の卒業までの学費70万円が目安になるだろう。

久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

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