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風の声

大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー

第19回

第19回
成人儀礼は可能か
(前編)

久田 邦明
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
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ある大学の講義で半年間、通過儀礼(成人儀礼)をテーマにした。これまでにも講義のなかで何回か取り上げたことはあるが、一貫したテーマとしたのは初めてのことだった。

通過儀礼とは、誕生、成年、結婚、死などの人生の節目に行われる儀礼の習俗であり、そのなかで、子どもや若者が大人になるためのものを成人儀礼と呼んでいる。

講義では毎回、成人儀礼の事例を紹介する方法をとった。岐阜県郡上市の吉田川の「飛び込み」から始めて、三重県鳥羽市の答志島の「寝屋」に至るまで、わたしが収集した映像資料を手がかりに講義をすすめた。

吉田川の飛び込みは、小学生が川面まで10メートルの橋の上から飛び込むというもので、これができれば周囲の大人や子どもから一目置かれるようになる。答志島の寝屋は、中学を卒業した若者たちが寝屋親と呼ばれる仮親の自宅の一室で寝起きを共にするという、若者宿の事例だ。

年中行事や祭りの事例も紹介した。子どもや若者が参加する年中行事や祭礼は、いずれも成人儀礼の意味をもっていた。昔の人は、伝統芸能を守るためにお囃子や獅子舞を子どもや若者に教えたわけではない。地域社会の後継者を育てるという生活上の切実な必要があったからだ。

講義では、このほかにも、成人式の発祥の地、埼玉県蕨町(現在の蕨市)で戦後すぐに行われた「成年式」の回顧談、岩手県水沢市(現在の奥州市)で発案された、近親者の手紙を手渡す成人式の映像なども紹介した。成人式は、成人儀礼の現代版といえるだろう。

学生たちの反応としては、伝統行事を紹介するテレビ番組の見方が変わったといった感想もあったが、やはり縁遠い世界の話のようだった。成人儀礼は生活共同体による承認という意味をもつが、その生活共同体が失われている。もはや成人儀礼も無効になったのだろうか。

久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

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