そこらへんのワカモノ

若年者就労支援などの活動を行う、認定NPO法人「育て上げネット」理事長の工藤啓氏とスタッフによるエッセー

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学生時代の自分に伝えたいこと
~仕事で留学先を訪れることに~

認定特定非営利活動法人 育て上げネット 理事長
工藤 啓(くどう・けい)
※組織名称、施策、役職名などは掲載当時のものです
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高校を卒業し、進学した大学を二年間で辞めました。海外で出会った台湾人と一緒にいたいと思い、アメリカのシアトルという街で暮らすことにしました。特に勉強したいことも、行きたい学校もなかったため、彼らが通っていたBellevue Community College(現Bellevue University)に入学しました。

卒業後はUniversity of Washingtonに編入予定でしたが、帰国して起業することにしました。目の前の「やってみたい」を優先した結果です。シアトルでの暮らしは約3年間でした。

勉強は頑張りました。目標を持って頑張ったというよりも、さまざまな国から集まるクラスメートのなかで、日本人がひとりだけであったり、「自分=日本人」といった見方をされたりすることもあり、その環境に頑張らせてもらったというのは正直なところです。それ以外にも、部活や地域リーグに入ってサッカーをし、冬は毎週のようにスノーボードにでかけ、日本各地、世界各国から来る友人らとたくさん遊びました。振り返れば楽しい思い出しかありません。

一昨年、仕事の関係でシアトルに行きました。国際的なNGOでもありませんので、まさか仕事で来るなんて思いもしませんでした。さっそく友人に連絡をして、現地で久しぶりに会いました。私が卒業したCollegeはUniversity(大学)になっていました。友人の車に乗り、キャンパス内をドライブしながら、思い出深い場所を歩き回りました。

毎日友人とだべっていたカフェテリア、大量の宿題に追われていた図書館、困ったとき留学生を助けてくれるヘルプデスクのある施設、部活で走り回ったグラウンド、充実していたコンピューターラボなど、長く時間を過ごした場所はいまも当時の面影をたくさん残していました。

友人と、「あのときは夢みたいなことばっかり話してたよね」と当時を振り返りながら、在学中から起業したり、自身の国という範囲を越えて物事を考えるべきだったと話しました。20年前でも海外で学生起業したり、国境など無関係な発想をされていた方はすごくたくさんいたでしょうが、私自身はそういう考えを持つことができず、目の前の宿題やテスト、“夢みたいな話”に留まり、「私の国、あなたの国、僕らが今いる場所」と、どこかで区分していました。

テクノロジーの進化、社会の変化のおかげで起業も国境を越えたコミュニケーションも簡単にできるようになりました。しかし、あの時、私はそれらが目の前で、肌感覚を持って、ダイレクトにできる恵まれた状況、環境にいたわけです。社会の見え方はいまとは異なりますが、留学時代の私が隣にいたら、「深く考えずに海外に来たんだから、引き続き、深く考えずにやりたいことやったら。38歳になった僕もやりたいことやるよ」と言います。

認定特定非営利活動法人
育て上げネット 理事長
工藤 啓
1977年東京生まれ。2001年、若年就労支援団体「育て上げネット」設立。2004年5月NPO法人化。内閣府「パーソナルサポートサービス検討委員会」委員、文部科学省「中央教育審議会生涯学習分科会」委員、埼玉県「ニート対策検討委員会」委員、東京都「東京都生涯学習審議会」委員等歴任。著書『大卒だって無職になる』(エンターブレイン)、『ニート支援マニュアル』(PHP研究所)、『NPOで働く-社会の課題を解決する仕事』(東洋経済新報社)ほか

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