そこらへんのワカモノ

若年者就労支援などの活動を行う、認定NPO法人「育て上げネット」理事長の工藤啓氏とスタッフによるエッセー

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「こうあるべき」に向き合う
~コロナ禍の変化と学び~

認定特定非営利活動法人 育て上げネット
山崎 梓(やまざき・あずさ)
※組織名称、施策、役職名などは掲載当時のものです
公開:

東京開催のオリンピック・パラリンピックが終わり、夏休みが過ぎ、ある種、お祭りのような日々が日常へと戻っていきます。向かう先が「日常」とは認めたくないコロナ禍であることは残念ですが、不思議なもので毎日24時間、きっちりと時間が過ぎていきます。

私はたまたま校則の厳しい学校に通っていました。「学生」とはこういうもの、「学生」はこうでなければならない…そんな、カギカッコに囲われた文字のように、誰かに定義づけされた理想像。いまも誰が決めたのかわかりません。校則には「高校生らしい」というあいまいな定義が書いてありました。

振り返ってもその校則を守ったことに価値は感じませんが、自分がどうありたいかより、校則を守らないことで叱られたり、HRが終わらないと周りに迷惑をかけてしまうから枠におさまっていたほうが良いな⋯となったんですね。当時の自分にとってはそれが処世術だったんだと思います。

でも、そういう「こうあるべき」と思われていたものは意図しない社会の変化で大胆に変わります。コロナ禍の生活を少し振り返っても、多くのことが想像もしていない変化をしましたよね。

1年半ほど前まで、マスクは健康状態を表すアイテムでしたが、今日、外でマスクをしている人をみかけても「体調が悪いのかな」と気遣うことはずいぶん少なくなりましたよね(⋯ともすると、私たちは客観的に他者の体調を測る方法をひとつ失ったのかもしれません)。

「こうあるべき」という枠は、私たちが社会のなかで生きていくためには大切なものです。しかし、それは人生を保証してくれるものではありません。マスクのように明確な根拠があればともかく、曖昧な定義で作られたものはグッと力が加わることで枠の形が変わってしまう程度のことなのです。

問題はそうした変化がいつ起きるか、どんな変化があるのかわからないことです。そして、その影響についていけないと、それをあなたの「弱さ」と捉えることがあります。起きた変化をあなた自身が望む、望まないにかかわらずです。

最近はこうした変化への適応力を「レジリエンス」とカタカナで呼ぶようになりました。たくさん売れた書籍もありますので、よかったらググってみてください。

私たちは社会のなかで生きていくために、なんらかの枠にはまっています。「りんご」という3文字を見て、樹木になる赤色の甘い果物を思い浮かべることができるのは、日本語という厳格なルールがあるからです。日常は「こうあるべき」に守られています。それがあるから周りの人と円滑に生活ができて心の安心を得られます。

でも、あなたが所属している場所にある「こうあるべき」が合わないとき、私のようにいやでも付き合えるならそれはそれで経験になるかもしれないし、無理だったら付き合う必要はないと思っています。

付き合わないのは「弱さ」になるんじゃないの? と思われるかもしれませんが、最近は多様な居場所を提供する人がいて、きっとあなたが付き合っても良いと思える、別の「こうあるべき」という枠もあるはずです。

「こうあるべき」というしんどさは日常のなかにあるので、慣れてしまったり、そんな簡単に変わらないよと感じられることもあると思いますが、学校のなかにもスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーと呼ばれる相談できる人がいます。付き合えないものに付き合わないという選択肢を捨てないようにしてくださればと思います。

認定特定非営利活動法人
育て上げネット 理事長
工藤 啓
1977年東京生まれ。2001年、若年就労支援団体「育て上げネット」設立。2004年5月NPO法人化。内閣府「パーソナルサポートサービス検討委員会」委員、文部科学省「中央教育審議会生涯学習分科会」委員、埼玉県「ニート対策検討委員会」委員、東京都「東京都生涯学習審議会」委員等歴任。著書『大卒だって無職になる』(エンターブレイン)、『ニート支援マニュアル』(PHP研究所)、『NPOで働く-社会の課題を解決する仕事』(東洋経済新報社)ほか

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