若年者就労支援などの活動を行う、認定NPO法人「育て上げネット」理事長の工藤啓氏とスタッフによるエッセー
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偏差値や成績に
囚われないようにする
山﨑 梓(やまざき・あずさ)
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これは4月下旬に書いているのですが、今日、あるアニメが最終回を迎えました。私が中高生だった15年以上前に沼にはまったマンガが原作の作品でした。
そのマンガは大手少年誌で人気作だったのですが、どんどん新作が始まり、その数だけ作品が終わっていく厳しい競争のなか人気は落ちていき、ストーリーの最終盤で打ち切りになってしまいました。その様はマンガ好きのあいだでミーム(ネタ)のようになっています。
こんなところで終わるのか⋯どうにかして続編が読みたいとファンが願うなか、マンガ界には「完全版」というトレンドが生まれました。完結した人気作品が再発行されるようになりました。
ファンの願いが届いたのか、この「完全版」の手法を用いて再発行が決まり、膨大な量の加筆がされ完結を迎えています。後にも先にも打ち切られた作品が完全版となって、しかも本筋のストーリーを書き足したケースはそう多くないと思います。
その後も、このマンガは後日談やスピンオフが描かれ続けています。掲載誌が休刊すれば別誌に移動して、そこでも休刊になれば、出版社を変え、いまや作者は原作の役割に絞り、絵や構成は他の人に任せて複数誌で同時連載を行い、アニメ化に至りました。
このマンガには一貫して「全ては思い一つ」というキーワードがあります。世に発表する機会を何度も失いながら、今もストーリーを紡いでいる姿がそれを体現しているようです。
前置きが長くなりましたが、進学や進級して、クラスメイトのことや周りのことにも慣れてくる時期。自分とはまったく違う生活をしてきた同年代の友人が増える。ひとつ学年があがっただけで、考えなければならないことがずいぶんと変わる⋯。
「人のふり見て我がふり直せ」なんてことわざがありますが、出会いと経験を重ねることは、自分と周りの違いを見つけて、「自分はこういう人だ」と形を作るタイミングでもあります。
私は勝手に周りと比較して「あの人は自分より勉強ができる」とか「だいたい偏差値はこれくらい」とか社会のなかで立ち位置を絞り込んできます。そういう「自分がどういう人なのか」ということを見定めるのは、大事なことではあるのですが、必ずしもそれが正しいとは限らないなぁと最近は感じます。
私には高校の友人と会うたびにネタにされる、体育の授業中に起きたトラウマがあって、それ以来、自分には運動の才能は皆無でスポーツとは一生関わらずに生きていくんだと思っていました。スポーツに関わるとロクなことがないんです。
その認識が変わったのは、訳あって参加したフルマラソンでした。人生ではじめてまじめにスポーツに取り組んで、スポーツには方法論があって、それに沿って練習すれば成果がでることを知りました。今も好きではないけど、どうしても関わりたくないとは思わない程度に気持ちを入れ替えています。
「自分はこういう人間なんだ」と思っていたことが、ただの思い込みだったと気づく機会は人生を通しても決して多くありません。でも、そういう経験をするたび、やっぱり「全ては思い一つ」だなと、ふとあのマンガを思い出します。
この時期、中間試験だったり模試で自分の立ち位置が数字で示される機会もあります。今の自分を知ることは大切なことですが、それは今(あるいは少し前の自分)を表現したもので、しかもただの数字でしかないので、それによって「あぁ、俺は現代文が苦手なんだ」とかあまり決めつけることなく、その結果を受けた自分の気持ちや心を大切にしてくださいね。
認定特定非営利活動法人
育て上げネット 理事長
工藤 啓
1977年東京生まれ。2001年、若年就労支援団体「育て上げネット」設立。2004年5月NPO法人化。内閣府「パーソナルサポートサービス検討委員会」委員、文部科学省「中央教育審議会生涯学習分科会」委員、埼玉県「ニート対策検討委員会」委員、東京都「東京都生涯学習審議会」委員等歴任。著書『大卒だって無職になる』(エンターブレイン)、『ニート支援マニュアル』(PHP研究所)、『NPOで働く-社会の課題を解決する仕事』(東洋経済新報社)ほか
認定特定非営利活動法人
育て上げネット 広報担当マネージャー
山﨑 梓
1990年生まれ。2010年から学生ボランティア団体で災害救援活動や地域貢献活動に参加。卒業後に育て上げネットに入職。ユースコーディネーターとして支援に関わりながら調査・研究を担当。現在は広報・寄付担当マネージャー。行政・自治体の若年無業者向けの支援に関わる技術審査員等歴任。共著に『若年無業者白書2014-2015』(バリューブックス)