Teaching Staff Life…ベテラン教員から後輩に贈るメッセージ
#08まずは自分の得意分野から始めて
可能性を伸ばす
進路部 部長
濱田 敏明 先生
公開:
400年以上前に設立された曹洞宗吉祥寺の「学林」をルーツに持つ駒澤大学の附属校。仏教や禅の教えは教育活動にも取り入れられている。1995年に男女共学化し、今年は開校70周年を迎えた。クラブ活動も盛んで、運動部から文化系クラブまでの多くの部や個人が全国大会などで活躍している。
生徒一人ひとりに責任負う
進路指導に携わって17年になります。その間に教務部長を務めたこともあります。進路指導は生徒一人ひとりに直接かかわりますが、教務は学校や教科を通してという所が違う点でしょうか。
附属校ということで他校と違うのは、駒澤大学に生徒をどう上げていくかという指導を行う点です。本校では3分の2が駒澤に進みますから、他大学に進む3分の1の生徒への進路指導は、他校と同じく目標や数値を持って取り組む形になります。その軸にあるのは一人ひとりの夢の実現です。駒澤に進んでも、他大学に進んでも私たちとしては最大限それを応援するという姿勢で指導しています。
本校でも、80年代ころにはやんちゃな生徒もいました。裏返すと、いろんな力を持っている生徒だったようにも思います。
今の生徒はおとなしくなった分、そういった力は見えにくくなっているのかなと思います。言われたことは如才なくこなしますが、型にとらわれずに自分から作り出すタイプが少なくなったようにも思います。少子化で、子ども一人ひとりをたくさんの大人の目が見るようになったということなのかもしれません。
学生時代はバンドと勉強
教員になったのは、父が中学の教員だったことも大きいですが、やはり教育に携わりたかったからだと思います。教育の何に魅せられたかというと、教育が明日の日本をつくっていく人々を育てていく、つまり教育が国を支える根幹であると感じたからです。人文社会系に進むつもりでしたが、わかる楽しさを知って大学の数学科に入ってしまいました。
教える工夫としては、なるべく図を使ったり、イメージが湧くように丁寧に教えることですね。わからなかったことができるようになったと、本人がいってくれたり、父兄がいってくれたりすると、励みになります。数学の道に進んでくれた生徒もいて、私にとっての原動力になっています。
数学はヒラメキが必要といわれることもありますが、高校の数学は、きちんとした基本の積み重ねがあればできるものがほとんどです。問題の本質部分と仕組みの部分をしっかり教えるようにしています。そうしないと、問題の形が変わるとできなくなってしまいますから。
理系の学生は勉強も大変なんですが、大学時代はバンド活動にも熱心に取り組みました。家で練習して、週に一回は学校でメンバーと合わせるような活動です。本校に軽音楽部ができたときには、顧問を引き受けざるを得ませんでしたが、今では全国大会にも進出するバンドが出てくるようになりました。
先輩はトラブルを経験済み
いちばん最初に持ったクラスでは、やんちゃな生徒もいて、家出してきたときには泊まらせたこともありました。生徒たちは、家庭のトラブル、友達とのトラブル、そういった人間関係で悩んでいることも多くて、これはずっと続くんだろうなと思いますね。男子校で年齢も近くて話も合ったし、ぶつかり合える環境もあったんだと思います。
若手のころは、授業の方法で悩むこともありましたが、いろんな悩みは先輩に相談してきました。若い先生方は、話しやすい分、同世代同士で解決してしまおうと思うかもしれませんが、先輩教員はいろんなことをやってきて経験があるので、それを聞くのはいちばんいい方法だと思います。
授業でも生徒指導でも、たいていのトラブルは経験済みですから。私は今でも悩みますよ。数学でアクティブ・ラーニングって、どうやって取り入れたらいいんだろうとか。
同じ学科の先生同士で教え合うことはできますが、最近はネットで自分の教授法をブログに公開している先生もいるので、それを見るのも勉強になります。教員はやはり教科の勉強を続けないと。勉強しない教員に教わる生徒は気の毒ですから。
最近の先生方は、若手からベテランまでとても忙しくなっています。そういった悩みが増えているのも事実です。教師の仕事は、やっていくと際限がありません。生徒のために、みんなで頑張るしかないのかもしれません。
若いときはやりたいことがいっぱいあると思うんです。全力でぶつかって行けばいいと思います。まずは教科指導でもクラブ活動でもいい、自分の得意分野から始めて自分の可能性を伸ばしていくといいですよ。明日の日本を支え、グローバル社会で生き抜いていく子どもたちですから、一緒に力いっぱい育てていきたいですね。
駒澤大学高等学校
進路部 部長
濱田 敏明 先生
[プロフィール]
1984年に駒澤大学高校教員採用。軽音楽部の顧問も務める。