Teaching Staff Life…ベテラン教員から後輩に贈るメッセージ
#02あなたはどこで汗をかくか、
それが試されている
進路指導部主任
佐々木 昭一 先生
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私は、大学卒業後に一時郷里の臨時教員に応募し、それから都立校の英語教員になりました。最初は瑞穂農芸高、そして館高(現在の翔陽高)、東大和南高を経て4校目になります。一校にじっくり居るという配置で、国立高に赴任して4年目。進路指導を担当しています。
平成元年に採用されて以来、東京は教育改革がかなりの速度で進行してきており、常に東京が先んじるという風潮があります。郷里の学校の、のんびりした時間の流れ方を懐かしく思うこともあります。
夢をかなえるために、
3年間生徒を引っ張るにはどうしたら良いのか
新採用で赴任した農芸高では、大学で学んだことや教授法とか、まるで通用しませんでした。
生徒が教科書に見向きもしない教室で、目の前の生徒たちを相手にゼロから築き上げるつもりで取り組みました。たいへんでしたけど、人間対人間のふれあいの中で、慣れていきました。たった4行しかない教科書1ページに、いかに生徒を1時間引きつけるか、そういったことを先輩教員たちからは教わりました。アルファベットがおぼつかなくても、洋楽だったらものすごく詳しい生徒には歌から入り、当時から始まったALTとのチームティーチングでネイティブの先生のナマの英語に触れさせたり。
進路指導に関わったのは普通科に移ってからです。中堅校の生徒の進路は進学や民間・公務員等の就職も含めて非常に多岐にわたります。そんな中でも夢をかなえるために3年間生徒を引っ張るにはどうしたら良いのかということを考えてきました。
都立校なので原則として一校に6年勤務して異動します。次第に慣れてくると、もっと何かできる、もう少し何か変えられるという気持ちが芽生えて、取り組み、一定の成果が出るか出ないうちに異動というサイクルになるのは宿命でしょうか。
東京という特性の、そして都立校という立場ですから、実にいろいろな学校があります。
職業校や進学校など、他校から来た先生方と一緒に生徒と向き合うとき、生徒の多様さ以上に、先生の目線をいかに合わせていくかは苦労するところです。ある生徒にはもう少し負荷をかければ結果を出せると思っても、それは生徒個人の問題だと消極的な意見も出る。でも思いを同じくするグループが現れて議論すると、全体が改革に舵を切るような瞬間がやがて来ます。
校則は「上履きを履こう」だけ
それぐらい自由
女子校に就任した男性教員という少し特殊な立場は3年目には気にならなくなりましたが、授業は最初のころ、自分だけで手一杯という感じでした。
東大和南高では、特別クラスの編成、勉強合宿などを行って、それを発信していきました。これも「中学時代には好成績の生徒たちなんだから、もう少し指導面で工夫できないか」と話し合ったのが発端です。
国立高校は、日比谷高、西高などと並ぶ東京都教育委員会の進学指導重点校で、リーダーを育てるということを目標の1つにしています。難関校への進学者数も多い一方で、かつては夏の高校野球で甲子園大会に出場したこともある、いわゆる文武両道の伝統校。校則は「上履きを履こう」だけ。それぐらい自由です。
もう1つの特徴が、文化祭にかける意気込みの熱さです。国高祭(文化祭と体育祭)には合計で1万人の入場者があって高3は全員で演劇に取り組みます。志望理由に「あの演劇に自分も出たい」というのが挙がるほどクオリティも高いものです。
国高祭が9月にあるために、高3の夏休みは準備に追われて受験勉強の態勢が取れないのが当校の特性でもありますが、高校生活のピークはそこに向けられていますから、9月からでもスタートが切れるのも国高生の人間力の高さだと思います。
私の初任のころは、新人は島嶼(とうしょ)や職業校から入るのが当り前といった時代でした。後進の育成も、「先輩の仕事を見て盗め」というやり方。最近ではむしろ各層・各分野にわたる研修でスキルアップするように変化。先輩教員が新人と酒を酌み交わしてアドバイスするといった手法も希薄になりました。一方で、若い先生方は優秀な人が多いのも事実ですね。
私は、教員というのは「どこで汗をかくか」なのだと思っています。生活指導で汗をかく、進路指導で汗をかく、あるいはまた別の場で汗をかく。あなたはどこで汗をかくか、それを試されている面があって、どちらもいやなら向いてないということになりますから。
教員にとって動くこと、出ていくことはやはり大切です。自分で動いて、見て、異質なものや外の世界の本物に触れることで、校内の限られた範囲の感覚だけではないものを生徒に伝えられます。それは生徒との交流でも、また先生同士の交流でも言えることだと思います。
東京都立国立高等学校
進路指導部主任
佐々木 昭一 先生
[プロフィール]
大学卒業後、農芸高校、普通校などを経て、2013年より現職。