研究室はオモシロイ

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第18回 Part.4

第18回 「音の風景」から環境や文化を考察(4)
Part.4
日本橋川に架かる名橋の下で
音楽に耳を傾ける

青山学院大学
総合文化政策学部 鳥越 けい子教授
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
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私たちのまわりにはさまざまな「音」があふれている。朝の訪れを告げる鳥のさえずり、調理や洗濯など生活のリズムを刻む音、クルマや電車が走る音、シンシンと雪が降る夜のような「静寂」という音、そして、多種多様な音楽。こうした「音」の向こうには、そのときどきの自然や人間の営みが存在している。さまざまな「音」に耳を傾けると、私たちの世界をより深く理解することにつながるのかもしれない。そこで今回は、さまざまな「音」を糸口に、環境、文化、社会、芸術、暮らしなどにアプローチし、研究活動とともに環境デザインやまちづくりなど実践活動にも取り組んでいる青山学院大学総合文化政策学部・鳥越けい子先生の研究室を訪ねてみた。(Part.4/全4回)

首都高速道路の下を流れる日本橋川で
「名橋たちの音を聴く」

前回は学生が中心となって地域と一体になったイベントを運営し、地域文化の保全に貢献している様子について伺った。最終回となる今回は、「残したい日本の音風景100選」など、全国各地に広がる「音の風景の大切さ」を伝えていく活動について伺うことにしよう。

鳥越先生は、狭い意味での研究室の枠にとどまらず、独自にユニークなイベントを企画実施したり、全国各地のさまざまなプロジェクトや音の風景の大切さを伝えていく活動などにかかわってきている。

たとえば、2010年には都市楽師プロジェクトというグループと共に日本橋川で「名橋たちの音を聴く」というイベントを開催している。日本橋川は、首都高速道路の下になっている部分が多く、一般的には注目されることも少ないが、その川でイベントを開催することにしたのにはもちろん理由がある。

▲「名橋たちの音を聴く」の様子(撮影:山口敦@都市楽師プロジェクト)

「江戸時代には船上で人形浄瑠璃や音楽を楽しむなど、川や水辺はいろいろな意味でアートの場でした。しかし、現代は西欧文化の影響もあって、音楽ならコンサートホールのなかというようにアート環境が囲い込まれてしまっています。そうしたアート環境のあり方を見直してみる必要があると考え、かつて船による川遊びが行われ、いまも江戸城の城壁などが遺っている日本橋川を船で下りながら、橋の下の音響空間で声楽や太鼓の音などに耳を傾けるイベントを企画したのです」

日本橋川には、ルネサンス様式の常盤橋、バロック様式の日本橋をはじめ由緒ある橋が架かっていて、橋の下はそれぞれ独特の音響空間になっているのだそうだ。

「橋の建築様式や構造、素材、川面までの距離などの違いによって、それぞれの橋ごとに音の響き方が違うのです。船で日本橋川を下りながら、歌や太鼓の音などが橋ごとにどのように違って聴こえるかを体感してもらって、都市のなかに意外なアート空間があること、そういう場でも音楽が楽しめることを伝えたかったのです」

このイベントには声楽家を招き、拍子木なども船に積み込んだ。同年5月と11月に開催し、船は1日に4便運航。実施前には、音響器材や録音装置を船に積み込んで、橋の下の音響空間の調査も行っている。

音風景100選の火付け役となり、
いまも追跡調査を継続

鳥越先生は、環境省の「残したい日本の音風景100選」にも深くかかわっている。というよりも、「音風景」という言葉が入っていることからもうかがえるように、鳥越先生が各地で行っていた音の風景の発掘や保全の活動などがヒントになって「音風景100選」につながったようだ。

「残したい日本の音風景100選は、1996年に当時の環境庁が行った事業です。21世紀に向けて、伝えたい音が聞こえる場所を全国各地から募集して選定し、100選というかたちにしたものです。私は、選定審査を行う『日本の音風景検討会』の委員として100選の事業に携わりました」

鳥越先生は、選定審査にかかわっただけではない。事前に環境庁からの相談を受け、どのような考え方の事業にするべきかを進言している。事業の方向性や進め方そのものにかかわっているということだ。

「当初、環境庁では『日本の音100選』というふうに考えていたのですが、音だけなら録音して残しておけばいいということにもなります。また、嘉手納基地の騒音のような形で日本を象徴する音もあります。ですから、『残したい』と明確に言うことと、自然環境や人々の生活、文化などと分かち難く結びついた『音の風景』という考え方が大切だということをアドバイスして、環境庁の方にも理解していただきました。実際に事業を進めていくうえでは、応募する際に『音風景』としての重要性を記入してもらうように募集様式のつくり方の提案などもしました」

応募は全国各地から700件以上が寄せられ、そのなかから100件が選定されているが、鳥越先生はその「100選」だけに価値や意味があるわけではないと説明する。

「応募して選定されなかったものもそうですが、そもそも応募自体がされていないもののなかにも、すごく貴重な音の風景があると思います。この事業は多くの人が『100選』を通じて、いろいろなタイプの音の風景を知ることにより、自分のまわりにある音の風景に気づき、その大切さを考えるきっかけになることに意味があるのです」

鳥越先生は、選定されなかったところも含めて「100選」に関連した「音風景」の追跡調査も随時、行っている。その範囲も、流氷の音の北海道からマングローブの音の西表島までおよんでいる。また、「100選」のなかには東日本大震災で津波の被害を受けたところもあり、かつてと現在の状況との違いを、自身が現在理事長をつとめる日本サウンドスケープ協会のメンバーと調査するなど、いまも継続的に活動を続けている。

建造物や工業製品などカタチのあるものと違って、音は一瞬一瞬で消えていく。まして、その音が発生する環境が失われてしまうと復元などは不可能だ。普段は意識することが少ないものだからこそ、私たちも音の風景の大切さを考えてみることが必要なのかもしれない。

鳥越先生から進路選びのアドバイス

進路の選びかたには、「○○なら就職率がいい」「これからは○○の時代だ」など、いろいろな方法があるでしょう。そのように社会的な状況や時代の趨勢を読みながらの進路選びは、以前に比べてはるかに難しくなっているように思われます。そのような「先が見えない今」だからこそ、ある意味で原点に帰って、自分が本当に好きなことを追求できる、あるいは追求できそうな道を選ぶことをお勧めしたいと思います。

たとえそれが漠然としたものでも、先ずはその路線で進路を選び、努力を重ねていくと、あなたにとってのより明確な道が見えてくる、開けてくるものです。

私の場合、音楽が好きで、当初は「音楽学」を専攻したのですが、大学に入って勉強をするうちに、自分の関心が「音環境」へと拡大していきました。そのようななかで「音の風景/サウンドスケープ」という言葉に出会い、今でもその考え方を現代社会のなかでどのように展開していくべきかについて、いつもいろいろと思いをめぐらしています。進路というのは、最初は既にあるものから選ばざるをえないけれど、そのうち自分で創るもの…そのように考えてみるといいかもしれませんよ。

鳥越 けい子(とりごえ けいこ)
1955年、東京都生まれ。1979年、東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。1980年、カナダ政府招聘留学。1982年、ヨーク大学(カナダ)芸術学部修士課程修了。1984年、東京芸術大学大学院音楽研究科修了。聖心女子大学教授を経て2008年から現職。博士(芸術文化学)。主な著書に『波の記譜法-環境音楽とは何か』(共編著/時事通信社)『サウンドスケープ その思想と実践』(鹿島出版会)『サウンドスケープの詩学 フィールド編』(春秋社)などがある。

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