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風の声

大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー

第81回

第81回
情報の受け手の問題
(前編)

久田 邦明
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
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講義では乳幼児から高齢者にいたるまでさまざまな住民施設を紹介をする。すると必ず学生から「役所はもっと住民に知らせる努力をするべきだ」という感想が寄せられる。“良い施設があるのに利用者が限られるのは、もったいない”というわけだ。そこには、自分が知らなかったのが残念だ、という気持ちもあるようだ。

じっさい、住民施設の現状をみると、いかにもお役所仕事のような、おざなりな広報ですませているところが多い。広報紙で知らせるだけでは読む人は限られるだろう。知っている人は知っているが、知らない人は知らないということになる。役所の広報の不充分さは明らかだ。

しかし、このような感想を繰り返し聞くうちに、もう一つの問題を考えるようになった。情報を受け取る側のアンテナの感度に問題があるのではないか。感度の鈍いアンテナには電波は届きにくい。反対に、感度の良いアンテナであれば微弱な電波を受けることもできるだろう。受け手の側に問題関心があるということを問いたくなるわけだ。

そもそも問題関心がなかったり、もしあっても切実な必要というものがなければ、どれほど有益な住民施設であってもその存在に気づかないだろう。また、自分の問題関心と情報を結び付ける回路がなければ注目することもないだろう。こう考えると、情報量の問題ではなく、こちらの側の感度こそが問題なのである。

このことは、自分の“枠”の問題という捉え方もできる。人にはそれぞれに自分の枠というものがあって、その枠に収まる情報は受け取るが、枠に収まらない情報はノイズとして退けられる仕組みになっている。そしてこの自分の枠を超えるのは、なかなかたいへんなことだ。大袈裟にいえば自分というもののかたちを変えなければならない。これまでの自分を壊して、つくりなおすということだ。人が情報を受け取るのは機械の場合とは違って、簡単なことではないのである。

久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

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