大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー
第91回第91回
社会問題としてのひきこもり
(前編)
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ひきこもりの捉え方が変わってきた。これまでひきこもりは若者世代の問題と考えられてきた。子どもから大人へ成長する時期の、つまずきの一つという理解だ。行政施策も市民団体の活動も、これを前提として、若者支援としてのひきこもり支援をおこなってきた。
それが、若者だけではない、幅広い世代の問題と捉えられるようになっている。保守的な性格の行政においても、さすがに、ひきこもりの現実を見過ごせなくなったのだ。今後、行政施策も市民団体の活動も、この方向ですすめられるだろう。
この問題を考える上で、見逃せないのは、秋田県藤里町の社会福祉協議会がおこなってきた、ひきこもり支援の活動だ。昨年、新聞やテレビで相次いで紹介されたが、その活動の全体については『ひきこもり 町おこしに発つ』(藤里町社会福祉協議会・秋田魁新報社編集/秋田魁新報社発行・2012)に詳しい。
藤里町の調査では、内閣府などの調査とはちがって、ひきこもりを、2年以上仕事をせず、家族以外と話をしていない18~55歳の町民と定義した。すると、これに近い者も含めて、113人(8.74%)が確認されたという。
そのなかで、年長者の場合、都会で失職して帰省したが、就職活動もままならず、ひきこもりになった人がいる。また、老親の介護のために実家に戻ったが、その後就職できずに、ひきこもりになった人もいる。今日の社会状況をみるおもいがするではないか。そして、ここから、ひきこもりは、若者の問題というよりも、社会の仕組みが生み出す問題、すなわち社会問題だということが分かるだろう。
町の社会福祉協議会では、「こみっと」という施設を開設して、そば打ちの食堂を始めた。また「こみっとバンク」という職業紹介所を設けて、職場の斡旋を始めた。ここを訪れて、自分のことのように感じた、若い取材記者もいたという。若い世代には他人事ではないのだ。
久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。