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風の声

大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー

第11回

第11回
地域の暮らしに埋め込まれた知恵
(前編)

久田 邦明
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
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北関東のある県の教育事務所の講演に行ったときのことだ。地域で子どもの面倒を見ている住民が集まってくれた。

わたしは前半の講演に続いて後半のグループ討議にも参加した。少子化や地域の過疎化のせいで子ども会などの活動が思い通りにすすまないといった、ざっくばらんな話が続くうちに、祭りの子ども神輿の話になった。神輿を子どもが自分たちで作って担ぐのだという。神輿の材料を山へ伐りに行くことから始めるそうだ。これには驚いた。

わたしの故郷では祭りには山車を曳いた。子ども神輿は大人の神輿を小さくした都市部のものだけしか知らなかった。山間部の厳しい暮らしのせいもあるとしても、子どもが自分たちの手で神輿を作って担ぐという話には、自分の不明を恥じるとともに、たいへん感心した。

子どもの「念仏」の話も出された。子どもが集まって小堂で行われる念仏講のことだ。ずっと男児だけで行われていたが、子どもの減少で続けられなくなったので、相談の上で女児も参加して続けることにしたという。

学校教育では参加型の学習の大切さが盛んにいわれている。子どもの参画ということばも拡がっている。それにもかかわらず、このような地域の暮らしに埋め込まれた知恵に目が向けられることは少ない。ものめずらしい学習プログラムの開発よりも前に、まず足元を見る必要があるのではないだろうか。

さて、当日そのあとの全体会ではグループ討議の報告が行われたのだが、報告者は夏のキャンプなどの活動の話を紹介するだけで、子ども神輿や念仏が話題になったことにはまったくふれなかった。

うっかりしたり、意図的に省略したりしたわけではなく、そういう活動はここで話題にするようなものではないという共通理解のあることが想像された。なんということだろう、わたしはもう一度驚いた。

久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

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