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風の声

大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー

第10回

第10回
シルバーPTAの力
(後編)

久田 邦明
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
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地域活動とは、地域住民によって担われる公共的なはたらきのことである。その変遷を振り返ると、次のように整理できるだろう。

前近代社会では“生活共同体としての地域社会”の活動だった。農業などの第1次産業は共同作業を基本とする。また生産活動とかかわる分業も一定のエリア内の関係に限られていた。そのせいで、地域活動は人々の暮らしと不可分のものだった。

ところが、高度経済成長期に生活共同体が解体すると、これが成り立たなくなる。ただその後しばらくは人々のあいだに生活共同体の記憶が残っていた。そのおかげで、現実的な基盤が失われても、人々の記憶が地域活動を推し進める力になった。しかし、人々の記憶が失われるようになった現在では、それも大きく変化している。

もともと地域活動は人々の暮らしの必要から生まれたものだった。行政依存、上意下達・横並びといった問題を抱えていても、そこには何がしかの根拠があった。ところが、ことここにいたって、大きな壁に突き当たっている。どうしたらよいのか。

過去の記憶を確かめながら新しい方法を編み出すほかないのだろう。わたしが、先に紹介した地域の茶の間や今回のシルバーPTAに注目するのは、このような課題と向き合い果敢に挑戦しているからだ。シルバーPTAの郡山さんは、ほかの地区の人から相談を受けると「机上のプランでやったわけではない、走りながら考えた。まずやってみてください」と応えるそうだ。また「規則がないのがいい、長続きする」とも語る。このような地域活動が拡がれば、地域社会も変わっていくのではないだろうか。

地域社会は文字通り「何でもあり」の世界だ。そういうところで、人にはたらきかけて、現実をうごかしていくのは容易なことではない。しかしそうであるからこそ、これからの社会を考えるための実に刺激的なフィールドといえるだろう。

久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

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