大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー
第13回第13回
不良にもなれない、いまどきの中学生
(前編)
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例によっていろいろなところを訪ね歩いている。つい先日も、ある住民施設へ出かけた。十代の若者たちは大方の住民施設で敬遠されるが、ここは彼らを積極的に受け入れている。やんちゃな中学生も常連になっていると聞いた。夏休みには高校生や大学生が子どもの相手をするボランティア事業を実施した。
入口の周辺やロビーに中学生がたむろしていた。女性の館長と男性の青少年パートナー(ボランティア)に事務室で話を聞いた。お2人は、オープンから20年間の事情を知るという年配の住民だ。
中学生はタバコを吸ったり、ときに自転車を建物のなかへ乗り入れたりするという。それにもかかわらず、不良といわれると「自分たちは不良ではない」と反撥するそうだ。親に迷惑をかけてはいけないと気兼ねしているという話も聞いた。意外な気がしたわたしは、半端な連中だなあと思った。
不良という自己規定は大切だ。職人仲間も労働組合青年部も学生運動も大人になるための通過儀礼(成人儀礼)の意味をもっていた。不良もその1つだろう。若い世代は「大人になれ」といわれて大人になるわけではない。大人に反抗しながら自分を立ち上げると、それが結果として大人になるための準備をすることになる。こう考えると、不良の自己規定をもたないのは中途半端だ。「不良にもなれないのか」と余計な文句をいいたくもなる。
館長の話によれば、彼ら中学生は、夏休みのボランティアの若者が小学生の遊び相手をしたり乳幼児の面倒を見たりする姿に接して、小学生や乳幼児の相手をするようになったという。見よう見まねで憶えたのだろう。微笑ましい話だが、これまでよほど限られた人間関係のなかで生きてきたのではないかと心配になる。
後日、講義でこの訪問調査を報告すると、社会人の経験もある学生が「彼らは不良ではない」という見方を教えてくれた。中・高校生の時期を振り返ってみてもタバコを吸うのはファッションのようなもので、不良でも何でもないという。彼は「不良がいなくなったことが問題だ」ということばも付け加えた。
久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。