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風の声

大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー

第14回

第14回
不良にもなれない、いまどきの中学生
(後編)

久田 邦明
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
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髪を染めてピアスやネックレスをした連中がたむろしてタバコを吸う姿を見ると、大人は不良だと思うだろう。ところが、当人は自分のことを不良とは考えない。このようにして両者のあいだでスレチガイが生まれるわけだ。青少年パートナーの男性は、卒業後の付き合いもあるという。なかには保護司の世話になる者もいるそうだが、そうなっても当人は不良とは認めたくないのかもしれない。

女性の館長は、彼らは「寂しいんです」という。朝起きると両親は出勤していて小遣いが机の上に置いてある。親の帰宅は夜の9時か10時。夕食時になっても自宅には誰もいない、それなら仲間とたむろしていた方が楽しい。中学生の施設利用時間は午後6時までと決められているが、なかなか帰ろうとしない。また、幾ら注意されても毎日必ずやって来るそうだ。

大学で事務職の女性にこの話をすると、彼女も「不良ではない」といった。その理由は、彼らが何もしていないからだ。なるほど、いわれてみれば、彼らは不良らしい悪巧みに熱心なわけではない。

「親の帰宅が遅いのなら夕食の支度をすればいいのに。昔はそうしていた」と、彼女は厳しい。わたしは気づかなかったことだ。ただそうはいっても今日、子どもに手伝いをさせるのは容易なことではないだろう。幼いときから習慣を付けさせなければならないが、親にそんな余裕はない。

また、火を使うなどには危険が伴う。集合住宅の一室ではもしものときに助けてくれる近所の人もいない。手伝いをさせるには生活を基本のところから見直さなければならないわけだ。そんなことを親に期待できるだろうか。

「彼らが居るのが普通の地域社会の姿だと思います」と語る館長のことばが印象に残った。彼らはここにたむろすることによって、かろうじて社会とつながっているといえるかもしれない。相手をする大人の役割は無くてはならない大切なものだろう。

ときおり小雨の降るなか、建物の外の灰皿の周囲にたむろする中学生に「見学に来た者ですが、この施設の良いところは何ですか」と、尋ねてみた。そのなかの1人が「雨が降っても居られることです」と、その外見とは似つかわしくない実に丁寧なことばで答えてくれた。

久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

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