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風の声

大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー

第20回

第20回
成人儀礼は可能か
(後編)

久田 邦明
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
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学生に「現代の成人儀礼」の可能性について尋ねたが、その必要は認めつつも、難しいだろうという意見が多かった。消費社会では“大人”と“子ども”の境界さえ曖昧になっている。いまさら成人儀礼を求めても無理なのかもしれない。

しかし、そう結論づけるのも早計だろう。成人儀礼は原始時代から連綿と続いてきたといわれており、教育史では「教育の起源」とみなされている。千年単位の歴史があるとすれば、百年か二百年の近代の尺度でみて消滅すると断言するわけにもいかない。

こんな講義の内容を、ボランティア団体の人に話したことがきっかけとなって、社団法人日本青年奉仕協会の「ボランティア365(青年長期ボランティア計画)」の活動報告会に「座談会 語ろう!365」のコーディネーターとして呼ばれることになった。

ボランティア365とは、1年間にわたって全国各地の活動先に滞在して、教育、福祉、地域振興などの分野でボランティア活動に専念するというプログラムだ。ボランティアの大切さがいわれるけれど、このような長期間のプログラムは、きわめて少ない。わたしが知る限り、これを行っているのは、もう一つ、特定非営利活動法人地球緑化センターの「緑のふるさと協力隊」だけだ。こちらは、自治体や団体の受け入れによって山村で1年間生活し、農林業や町おこし村おこしの手伝いをする。

事例が少ないのは、たいへんな手間ひまがかかるからだろう。教育改革論議で安直にボランティアの必要を語る人には、このような事例を知っているのかと、問いたくなる。

わたしが活動報告会で話を聞いたのは、ほんのわずかの時間だった。それにもかかわらず、このプログラムの幅の広さと奥行きの深さに感心した。今春から教職に就く若者の青少年施設での活動、離島における高齢者福祉の活動、ホームレスの支援活動など実に多彩なものだった。

現代の成人儀礼は、こうしたところで、数は少ないが、しっかりとしたかたちで行われている。次年度の講義では、現代の成人儀礼について、もう少し突っ込んで取り上げようと思った。

久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

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