大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー
第37回第37回
昭和30年代は良い時代だったのか
(前編)
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昭和30年代がブームのようだ。そんなに良い時代だったのだろうか。
20代や30代の若い世代が昭和30年代を懐かしがるのは、まあしょうがない。知らない時代のことが羨ましくなることはある。しかし、当時を知るはずの50代から上の世代が「昔は良かった」と、昭和30年代を懐かしがるのは、どうしたことだろう。
その頃、東京の空はスモッグにおおわれて不健康な環境だった。映画館の汲取り式トイレは臭くてたまらなかったと、誰かが指摘していた。コンピュータグラフィックスを駆使した、最近評判の映画の描き出す世界とはちがうのである。昭和30年代を懐かしがる人は、そういう都合の悪いことは忘れているのだろう。
それだけではない。田舎では、地縁血縁の人間関係のしがらみが窮屈だった。暮らしの急激な変化のなかで、それまで「仕方がない」とあきらめていた問題にも耐えられなくなる時期だったのだろう。
都会では、アパートの四畳半や六畳一間に家族が暮らしていた。そんな貧しい住宅環境のせいで、まるで鳥かごのような2DKの団地が夢の暮らしだった。
ファミリーレストランやファースフード店があるはずもなく、たまたま入った蕎麦屋の無愛想な接客態度にも「運が悪かった」と我慢するしかなかった。コンビニや大規模店舗などは見当たらないから、近所の商店の貧弱な品揃えに文句をいうことも知らなかった。
なかでも忘れてならないのは、人と人との距離が近いせいで、しょっちゅう人間関係の軋轢が生じていたことだろう。些細なことまで他人の目を気にしないわけにはいかなかったのだ。「人に迷惑をかけるな」という決まり文句は、このことを思い出させる。これに加えて、豊かな暮らしを求める、新手の生存競争も始まった。昭和30年代は、ろくでもない時代だ。
久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。