大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー
第38回第38回
昭和30年代は良い時代だったのか
(後編)
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その当時、年寄りから「昔は良かった」ということばを聞いたおぼえがない。それまでずっと頼りない暮らしを経験してきた年寄りは、高度経済成長期の暮らしを「まるで極楽のようだ」と語っていた。
戦前戦後の貧しい時代には、衣食住の全般にわたって互いに譲り合わなければならなかった。譲り合いといえば聞こえはよいが、貧乏人同士の奪い合いと表裏の関係だろう。どちらにしても、いじましい暮らしだ。
ただ、こんなふうに文句ばかりいうわたしも、昭和30年代を懐かしがる年長者の気持ちを想像できないわけでもない。
ときどき、コンビニでレジの店員に熱心に話しかける年寄りの姿を目にすることがある。「場違いなふるまいをするものだ」と思いながら、昔の商店の店先の情景を思い出して懐かしい気分になる。いや、それだけではない。そういう年寄りの切羽詰った日常生活を想像すると、ちょっとせつなくなる。地域の公共施設では、高齢者の話を聞くボランティア活動もおこなわれている。一人ぼっちの高齢者にとって、話し相手がいるかどうかは、生命にかかわるほど大切なことなのかもしれない。
昭和30年代は、古いものと新しいものが混在するなかを疾走する時代だった。新しいものの代表のような家庭電化製品の普及が目覚しかった。それによって生活にゆとりが生まれたといわれるが、それだけではないだろう。便利な道具を使うようになったせいで、人間関係に依存する必要が減り、一人ひとりが孤立する方向へと暮らし方が大きく変わっていったということでもある。この点に着目すれば、電気洗濯機や電気冷蔵庫や電気掃除機は、現在のパソコンやケータイと似たところがあるような気もする。
こう考えると、昔の暮らしを懐かしがることのなかった昭和30年代の年寄りの、あっけらかんとした姿こそが懐かしい。
久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。