大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー
第53回第53回
若者の地元志向
(前編)
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地域社会の活性化には若者の地元志向を視野に収める必要がある。こういう意見がしばらく前の新聞に掲載された。まったくその通りだと思う。大学生の話を聞いても地元志向が目立つし、若者に期待しなければ地域社会の再生もないだろう。
若者を視野に入れない地域社会の活性化は、その場しのぎの、諸々の問題を先送りにするだけのものになりかねない。地域社会の活性化を願うのであれば、将来の地域社会の担い手のことを想定して、それこそ十年単位の尺度で考えていく必要がある。
かつて高度経済成長期には、中卒者から大卒者までこぞって都市へと向った。その当時、若者は消費社会の担い手として期待された。そのせいで若者文化といえば都市の消費文化のことだった。そういう若者たちの存在があってはじめて高度経済成長は実現した、ともいえるだろう。
しかし時代は大きく変わった。現在の20代が育ったのはバブル経済が弾けてしまった1990年代である。消費社会の限界が明らかになったこの時期に育った世代のあいだに、都会志向に代わって地元志向がひろがるのも、うなずける。
ひきこもりやニートが話題になっていた頃、その背後で若者の意識が大きく変化していたことが想像される。彼らは、年長世代の常識を超えたレベルで、慎ましやかで落ち着いた暮らしを想定しているのかもしれない。このような仮説は今後の地域社会を見通すための重要な指標になるだろう。
しかし、そこで考えなければならないのは、地域社会の活性化を語る人々が“夢よ、もう一度”とばかりに経済発展の再来を期待していることだ。人口減少をみるだけでも、そういうことはありえないにもかかわらず、である。
地域社会の活性化を語る人々は、地元志向の若者たちの話を良く聞いて、地域社会の活性化の中身を再検討しなければならない。地域社会の希望も、そういう対話から生まれるのではないだろうか。
久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。