大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー
第52回第52回
高校生世代という捉え方
(後編)
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このところ、行政の青少年施策のなかで中高校生の世代が注目されている。ブームといってよいかもしれない。しかし多くの場合、そこで想定されるのは「中高生世代」ではなく「中高生」である。ことばづかいに無頓着な様子からみて、行政の都合が前面に出ている気がする。
一つには、次世代育成支援後期行動計画の策定という行政の課題がある。行動計画の見直しの過程において、空白領域の中高生世代への施策の必要性が急浮上してきたということだ。
わたしもいろいろなところで、このような行政の動向と縁がある。しかし、なかなか難しい。まず第一に、この世代の若者は、部活動、学習塾、お稽古事、受験勉強、遊び、…と忙しい。青少年施設の利用や青少年事業への参加をすすめても、なかなか応えてくれない。
第二に、この世代の面倒をみるのは簡単ではない。一言でいえば手間隙がかかる。それに加えて、成果を上げても行政事業評価に馴染まない。
第三に、行政がらみのはたらきかけには限界がある。喫煙の問題を考えても、杓子定規な対応でうまくいかないが、行政職員は法律にもとづいた杓子定規な対応をしないわけにはいかない。
それではどうしたらよいのだろうか。
一つには、想定される対象を明確にする必要がある。いまどき、行政施策で中高生世代の全体をカバーしようとしても無理である。支援を必要とする人々に対象を絞って考えるしかないだろう。
もう一つは、住民の協力を求めることである。地域の教育力が失われたといわれるが、子どもや若者の面倒をみる人々がいなくなったわけではない。いや、熱心に面倒をみる人々がどこにもいるのである。
ただそうはいっても、現在の行政の仕組みを前提とするかぎり、そういう住民に活躍してもらう仕組みづくりは容易ではない。このように、話は堂々巡りになる。そこでまずは「中高生」ではなく「中高生世代」にしようと提案しているわけだ。
久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。