大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー
第65回第65回
大学をユースセンターへ
(前編)
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知り合いの大学教師が「大学は今やユースセンターになっている」と語ったことばに注目した。その先生は面倒見の良い、教育学の研究者だから、大学の現状を他人事のように嘆いたのではなく、大衆的な大学の現状を冷静にみた感想である。
ユースセンターというのは英国の青年施設の名称で、日本でいえば青年の家とか勤労青少年ホームとか青少年センターとか呼ばれる社会教育施設のことである。高度経済成長期の勤労青年が社会性を身に付けるための活動の場所だったが、進学率の上昇につれて1980年代から90年代には徐々に閉鎖されていった。そういう性格の施設と大学が似たところになっていると、その先生はいうのである。
大学の日常をみれば納得できる話である。象牙の塔と呼ばれた大学も、教師が研究のかたわらで学生に教えるところから、フツーの若者が寄り集うところへと変化した。そのせいで指導教官ともなれば、従来の「学生指導」を大きく逸脱する「生活指導」に追いまくられている。大学から遠のいた学生に登校を促すという、以前にはまるで考えられなかったことも、熱心な人はおこなっているようだ。これは先生たちだけのことではない。大学の職員に学生相手の苦労を聞くこともある。学生相談室のカウンセラーは日常生活のさまざまな問題の相談を受けるという。深刻な相談もあるらしいが、詳しいことは分からない。
大学のスタッフが熱心に学生と対応するのは、職業的な責任感や個人的な熱意だけでないだろう。そういうことをしなければ大学が成り立たないという潜在的な危機感があるからでないか。少し距離を置いたところにいるわたしは、そうみている。
かつて高度経済成長期の青年施設の職員は親身になって若者たちの相手をしたけれども、今日の大学にそのような条件が備わっているわけもない。大学はこれからどうなっていくのだろうか。
久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。