大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー
第64回第64回
コミュニティビジネスの希望
(後編)
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風呂屋のご主人の本を知ったのは、藤沢市本町の「クラジャ」という店の集まりに押しかけ参加をしたときのことだった。わいわいがやがや語り合うときに、向こうの席で本を手に自己紹介を始める人がいた。ところが、声がよく聞こえない。しばらくしてからその人と話をして、この本のことを知ったのだった。あいにく手元にないというので、その場で注文して送ってもらった。このような経緯があった。
数年前に知ったクラジャは、内外の音楽家が演奏する、洒落た店だ。店の名前は、クラシックとジャズという意味。実はこの店の主人からして地域活動に熱心な人だ。小学生のマーチングバンドを主宰し、大学の軽音楽部の指導をしている。また、この店は、地元小中学生の米づくりの「こめこめクラブ」の活動拠点でもある。
店のホームページでは「村の私営公民館」とユーモラスに名乗る。栄湯湘南館と同じようにコミュニティビジネスの店と呼ぶことができるだろう。
しばらく前まで地域社会には住民の暮らしと結びつく事業主が数多くいた。彼らは地域社会の支え手だったが、大規模店舗や全国チェーンの小売店の進出によってその数が減るとともに、支え手を失った地域社会は大きく様変わりをしてきた。
風呂屋のおやじの北橋さんは次のように記している。「お金がないことが貧乏だと思っていません。お金なんて少しあれば何とか生きていけます。地域でつながっていると、困ったとき不便なときに人が動いてくれます」。
日々の苦労は並大抵のものではないだろう。しかしそれでも、豊かな暮らしだと思う。消費社会の豊かさではなく文化的な意味の豊かさだ。このような豊かさが多く人々に共有されるようになるのは、いつのことだろうか。不安定就労の若者たちの姿を思い浮かべながら、そのことを考える。
久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。