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風の声

大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー

第67回

第67回
講義について考えた
(前編)

久田 邦明
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
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桂春団冶の「代書屋」をテレビで観た。上方落語の代表的な演目だから知る人も多いだろう。無筆の男が、履歴書が必要になって代書屋へやって来る。ところが、代書屋が質問する生年月日や職歴、賞罰などについての男の返答が、いちいちとんちんかんで履歴書の代筆はちっともすすまない。

この男の問題は二つある。一つは、文字の読み書きができないことだ。そのせいで代筆を頼みに来たわけだが、やり取りが始まると、もう一つ、もっと深刻な問題が明らかになる。それは、この男が履歴書というものの文化的な枠組みを、まったくもって理解していないことだ。

その男は、おっちょこちょいの、お調子者かもしれないが、生きるための知恵はそれなりに身につけている。周囲には親切に世話を焼く人もいるようだ。ただ、履歴書を必要とする文化と無縁なまま生きてきたせいで代書屋を前にしても世間話のレベルの受け答えに終始してしまうのだ。これは口承文化と文字文化のちがいを巡る問題といえるだろうが、二つの文化はそれぞれに根拠があるわけで、そう考えると、代書屋の受け答えも徐々にいいかげんなものに聞こえてくるのが面白い。文字文化を上位に置く社会的な約束事に縛られるわたしたちをくすぐり、笑いを誘うという仕組みだ。

代書屋の噺を聴いて、最近の講義を思い浮かべた。少人数のその講義でこれと似たやり取りが続いたからだ。学生に質問すると、とんちんかんな答えをする。隣同士でぼそぼそ話をするので発言を促すと、まるで無関係のことを話していたらしく、戸惑うようすがみえる。悪気があるわけではない。関心をもつテーマには集中する。学生に甘えてはいけないのだということに気づいて、途中から素っ気なくして何とか半年間をやり過ごしたのだが、この代書屋の落語をヒントに別の方向へ向うこともできたかもしれないと思ったのである。

久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

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