" />
風の声

大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー

第74回

第74回
もう一つの社会について学ぶ
(後編)

久田 邦明
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
公開:
 更新:

学生のなかには少数ながら、本格的な年中行事や祭りに参加してきた者がいる。それに加えて、祭りのときに太鼓を叩いたり、笛を吹いたりしたことがあるという者も少なくない。

本人は、決められた催し物に参加してきたと受け止めているだけで、子どもや若者を育てる意味がそこにあったなどとは考えていない。指導する大人の姿を想像しても、子どもや若者の成長を考えるよりも、地域の付き合いを大切にしたいといった生活世界の常識を生きているということなのだろう。伝統文化の継承を通して地域の暮らしを守っていきたいというおもいを想像することはできるが、それも日々の暮らしに還元されていくような性格のおもいだろう。

わたしは、年中行事や祭りに参加してきた学生がその経験を意味づけなおすようになることが、講義の役割だと考えている。日常卑近なことがらを広い視野から捉えなおし、新しく意味づけることこそ学問的な営みのはずである。

学生に期待されるこのような理解のプロセスは、伝統文化と無縁に生きてきた多数派の学生にとっても大きな意味があると思う。映像資料や印刷資料の抽象的な知識を知ることと、当事者であの学生の証言を聞くこととのあいだには、大きなちがいがあるからである。

それにしても学生の証言を聞いて興味深いのは、年中行事や祭りの伝承が、学校教育の教育方法とはちがって、身近な大人とのあいだの親しみに満ちた人間関係を通しておこなわれていることである。そこには、学校教育における教師と児童・生徒という制度的な関係とは異なる人間関係をみることができる。

それはまた、機能主義的な人間関係とは別の人間関係のあり方を教えてくれるものでもある。少し飛躍した言い方になるけれども、この点に着目すれば、年中行事や祭りについて学ぶことは、機能主義的な人間関係による社会とは別の、もう一つの社会について想像する糸口になる。

そうはいっても、このような親しい人間関係は容易に親分-子分の関係に転化する。油断するわけにはいかない。当事者にはこのことを理解するのがとても難しいという問題もあるが、それでもなお、出口のみえないこの社会のなかで、もう一つの社会の可能性について想像することの意味は大きい、と思うのである。

久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

新着記事 New Articles