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風の声

大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー

第73回

第73回
もう一つの社会について学ぶ
(前編)

久田 邦明
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
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講義ではさまざまな年中行事や祭りを、映像資料を使って紹介する。大画面のスクリーンに映し出される映像にはなかなか迫力がある。

埼玉県秩父市上吉田塚越地区の花まつり、宮城県鳴瀬町宮戸月浜地区のえんずのわり、長野県飯網町の獅子舞、佐賀県竹崎島のおんぜい、三重県鳥羽市答志島の寝屋など。どれも一般には馴染みの無いかもしれないが、地域の暮らしと密着した伝統文化として評価されているものだ。

学生の反応が面白い。子どもや若者が活躍する姿を目の当たりにすると、この日本でこんなことがおこなわれているかと驚く。花まつりでは、子どもたちが何週間もかけて花びらを集めて山のお堂の参道に敷きつめる。えんずのわりでは、子どもたちが杖をつき害鳥を追い払うことばを唱えて家々をまわる。獅子舞では、年長者が年少者に実に懇切丁寧に教える。おんぜいでは、若者たちがまるでフットボールの競技のように激しく鬼の首(が入っていると伝えられる木箱)を奪い合う。寝屋では、十代半ばから二十代の時期に仮親のもとで共同生活を続ける。

TVのローカルニュースなどで紹介される年中行事や祭りに、子どもや若者を育てる通過儀礼(成人儀礼)の意味があると考える人がどれだけいるだろうか。昔の人は伝統文化を守ろうなどと考えていたわけではない。生活の必要から知恵を絞って子どもや若者を育てる仕組みを工夫してきたわけだ。

西欧人好みの洗練された伝統文化よりも、人々の暮らしと密着した伝統文化に着目する必要があると思う。この点で教育関係者に求められるのは、伝統文化と学校教育とのあいだに横たわる深い溝を確認することだろう。明治以降、学校教育は伝統文化に冷淡だったり攻撃的だったりしてきたのである。祭礼の日を休校にするかどうかで学校と地域とのあいだで綱引きがおこなわれたことをみるだけでも、このことは明らかだろう。学校教育をめぐるこのような問題をみないまま、伝統文化を導入しようとする教育関係者は、ご都合主義者と呼ばれるだろう。

久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

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