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風の声

大学で講師を務める評論家久田邦明氏のエッセー

第6回

第6回
もう1つの教育のかたち
(後編)

久田 邦明
※組織名称、施策、役職名などは原稿作成時のものです
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自助グループのミーティング参加者の証言を取り上げると、感想文に「甘えている」と手厳しく批判するものがある。その学生も苦労しているのかもしれないと想像してしまう。一般に自分と無関係な問題には反発しないものだからだ。

その一方でストレートに共感を示す学生もいる。教師が読む感想文だから本当に切実な話は避けるだろうが、それでも率直に高校生のときの体験や、友だちの苦労話を書く学生がいる。それを読むと、世間で騒がれる“いい子”の問題は、それほど珍しくないのだなあと思う。豊かな暮らしのなかでお体裁を繕う余裕が生まれたせいか、子どものときから親や教師の思惑を推し量って生きてきた姿が想像されるのだ。人間関係に無駄なエネルギーを使わないで生きる知恵なのかもしれないが、それに慣れてしまうと自分自身を見失うことになる。

地方自治体の保健センターで行なわれる、MCG(母と子の関係を考える会)という、自助グループのミーティングと似た方法のビデオを紹介したときのことだ。不登校や虐待に悩む母親たちが語り合うという内容に、ある学生が「自分の母親が参加していたらどうしようと思った」という感想を書いた。親に迷惑をかけては申し訳ないと、心配になったというのだ。

自分のことよりも親への気遣いを優先するとは何としたことだろうか。わたしは翌週の講義で「困ったものだ。“いい子”の振りをしないで、ちゃんと子どもをやってもらいたい」と、コメントした。親に迷惑をかけるのが子どもだろう。そういう子どもの役割をサボタージュしてはいけない。

もちろんこの問題の第一の責任は親にある。親は、子どもにちゃんと“子どもをやる”ようにしてやらなければならない。それをしないのは親として失格だ。しかしそうはいっても、それが親にできないのであれば仕方がない。子どもが、子どもをやってみせるしかないだろう。子どもにも苦労が多いと思う。

久田 邦明(ひさだ・くにあき)
首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。

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